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「決まったことが伝達されるだけ」になってしまった学校の「職員会議」。「学校運営にかかわりあいたくない」という若い教員も多数派に

「校長のイエスマン」ばかりが集まることに

 学校運営の方針など重要なこともすべて、この「偉い人会議」で決められる。そうして決まったことが職員会議で伝達され、多くの教員は「承りました」となるのだそうだ。それが、現在の職員会議の実態である。  せめて「偉い人会議」で真剣な議論が闘わされて決められるのなら、少しは救いがあるのかもしれない。しかし実際は、「偉い人会議」で議論が闘わされることは、めったにないという。  というのも、メンバーが教務主任などの「役職者」ばかりだからだ。学校内で役職者になるには、校長に気に入られる必要がある。校長に逆らってばかりいるようでは、まず「偉い人」にはなれない。ということで、「偉い人会議」には「校長のイエスマン」ばかりが集まることになり、議論にならないのだ。そうした「偉い人会議」で決まったことが職員会議で伝えられ、先生たち黙っては従わなければならないのだから、結果的に校長の権限ばかりが強くなる。いまの学校は、そういうことになっている。 「大事な学校の運営方針くらいは教職員全員の意見を聞き、議論して決めるべきだと私は思います」とも、先の小学校教員は言った。そうなっていないのなら、先生たちが「発言させろ」と校長に迫ってもよさそうなものである。それを質問してみると、次の答えが戻ってきた。

言われたことを黙ってやればいい

「特に若い先生の多くは、職員会議は自分たちが発言するところではないと考えているようです。時間をとられたくないから、意見を述べたくもないし、学校運営なんかにかかわりあいたくない、と思っている先生も多い。言われたことを黙ってやればいい、と考えている」  これでは、職員会議が議論する場に戻るはずがない。そして職員会議で発言したくない先生も、子どもたちには「よく話し合って決めなさい」と指導する。そこに矛盾を感じていないのだろうか。 「矛盾を感じている先生は少ない気がします。『話し合いなさい』と生徒を指導することも、職員会議で自分たちが発言できないことも、『そういうものだ』と受け取っているのかもしれません」と言って、小学校教員は笑った。  職員会議を伝達会議として納得してしまっている先生の「意見を言いなさい。話し合いなさい」という言葉を、子どもたちはどう受け取られているのだろうか。 <取材・文/前屋毅>
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。ジャーナリストの故・立花隆氏、田原総一朗氏のスタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーランスに。流通、金融、自動車などの企業取材がメインだったが、最近は教育関連の記事を書くことが多い。日本経済が立ち直るためにも、教育改革が不可欠と考えている。著書に『教師をやめる』(学事出版)、『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)などがある。
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