【全原発停止】いち早く停止し、すでに1年が過ぎた浜岡原発の今(後編)

東海地震の予想震源地や首都圏に近いことから、長く安全性が懸念されていた静岡県御前崎市にある浜岡原子力発電所。停止からおよそ1年が経過した今、街の様子や市民はどのように考えているのだろうか。大型連休最終日、5月6日の浜岡原発がある御前崎市に行ってみた。

←(前編)浜岡原子力館の様子、近隣住民の声
http://nikkan-spa.jp/207076

◆浜岡町初代町長の孫は「震災以降、原発にはきっぱり反対」

 御前崎市内まで移動すると、そこでは地元のお茶屋さんやカフェ、レストランなどが協力し、来店者に無料で御前崎特産のお茶「つゆひかり」とスイーツを提供する「つゆひかりカフェ」が開催されていた(5月13日まで)。同イベントに参加していた、江戸時代から続く老舗の製茶店「中山商店」を営む中山啓司さん(67)にお話を伺った。中山さんの祖父、正一さんは、浜岡町の初代町長。原発受け入れ時には引退していたが、受け入れには協力的だったという。

「20代のころ、祖父に連れられて1号機の中央制御室に入ったことがありますが、最新の機器や設備に驚きました。時代も高度成長期、国策だから、という思いもあり、原子力は温暖化対策にも役立つ未来のエネルギーだと信じて疑いませんでした。勉強会にも参加して、友人から危険だという話も聞いてもいましたが、あまり実感はなかったですね。しかし震災以後、考え方が変わって今では原発にははっきりと反対です。

 原発事故は一次産業に関わる業種にとっては致命傷になる。昨年は実際に風評被害もありました。あと何よりも、我々には先祖代々受け継いだ土地と地域を守る責任があります。祖父が先鞭をつけた原発に異を唱えるのは裏切り行為だ、という人もいますが、逆によく言ってくれた、という人もいます。御前崎はもともと和を大事にする、おとなしい土地柄ですから、プラカードを持つなど解りやすい抗議はしません。また外からでは解らないほど複雑に、色々な事が原発と関わっているので、立場上思ったことを言えない人も多いでしょう。

デモ禁止の貼り紙

デモ禁止の貼り紙

 4月に行われた選挙で、現職の市長が原発停止を掲げる候補を抑えて3選したこと、新人議員が2人しか増えなかったことだけを見て、御前崎市民が原発稼動を容認している、と取られるような報道もされましたが、確実に市民の心情は変わっています。震災前、原発の話は完全にタブーでしたが、今は友人が集まると自然と原発の話になりますし、3月には浜岡中学校の生徒が、会津若松に避難中の大熊中学校の生徒を訪問したりと、若い人たちの間でも考える機会は確実に増えています。

 これまでも原発が出来るたびに説明会や勉強会が開催されましたが、学者や専門家が数字を並べて説明するだけの解りづらいものでした。建設中の堤防も津波の想定が変わるたび高さについての議論が出ますが、それより高い津波が来たらどうするのか、そもそも浜岡独特の設計である海底を通る取水トンネルが崩落したらどうするのか、不安を上げればキリがありません。あの震災を体験した今、『自然の力』に対する畏れや不安をそういったことで解消するのは難しい。原発は情緒や心の問題だと思います。

 また遊休農地を利用した牧場や無農薬農場の事業案が「原発の近くだから」という理由で、銀行から融資を断られたケースもありましたし、再稼動より廃炉の方向へ進んだほうが現実的で建設的です。原発が無くなると市の財政が危ないという意見もありますが、廃炉事業や新エネルギーを新たなビジネスにしていけば良い。また市内のホテルや飲み屋さんなどからは、今は堤防建設の関係者のおかげでさほど景気は悪くない、という話も聞いています。これまでのように、原発を稼働させ6号機、7号機と増やしていくやり方以外にも、地元経済を縮小させないで済む方法があるのではないでしょうか」

 難しい立場ながら、はっきりと再稼動に反対の意思を示す中山さん。「今は議論をする良い機会。時間はかかるかもしれませんが、一人一人が考え話し合うことで形になっていくと思います」と御前崎の将来について力強く語ってくれた。

 原発が停止して1年が経過した御前崎市。市内の様子に大きな変化は見られなかったが、近隣住民たちの気持ちは複雑に変化しているようだ。今後も再稼動の是非を巡って紛糾が予想される原発問題。「原発ゼロ」のまま電力不足が予想される夏を迎えるのか、「再稼動」で乗り切るのか。政府や自治体の動きはもちろん、市民の声や街の様子も含め、引き続き注目していきたい。 <取材・文・撮影/日刊SPA!取材班>





おすすめ記事