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結成1年目から何度も「ギリギリ」だったKAT-TUNの歴史。“6人から3人へ”年表と共に振り返る

2006年のデビューから2025年の解散まで

 そのグループ名は、デビュー時のメンバーのイニシャルを組み合わせたものというのは有名な話だ。  K(亀梨和也)A(赤西仁)T(田口淳之介)T(田中聖)U(上田竜也)N(中丸雄一)。  赤西の脱退によって“A”が欠けるがどうなる?といったことを、「亀梨の“KA”」となかば強引に結びつけ続けたりすることで逆境を笑いに変えたりしながらも、活動を続けてきた。  5人グループとして再出発するものの、KAT-TUNの「ギリギリ」は続く。リリース作品や公演、出演作などをのぞき、何があったか年表的にごく簡潔にまとめると…… 06年3月 デビュー 06年10月 赤西留学によりグループは一時5人での活動へ 10年7月 赤西脱退 13年9月 田中契約解除、翌月脱退発表 16年3月 田口脱退、1年8ヶ月の充電期間へ 18年1月「充電完了」、亀梨・上田・中丸の3人で活動再開 24年8月 中丸不倫報道により活動自粛 25年1月 中丸活動再開 25年2月 解散発表 25年3月 解散  ……あらためて何度も「ギリギリ」を乗り越えてきたんだなということを感じる。また、退所後ではあるが、田中と田口がそれぞれ逮捕されるという事態を招いたことも記憶に強く残るだろう。  前述のメンバーのイニシャルに基づくグループ名も、メンバーが減るたび「KUNじゃないの?」など、いじられてはこじつけ的説明(強引だがなぜか当てはまってきた)を続けてきており、最終的には「KA(亀梨の“か”)、T-TU(竜也の“た”“つ”、中丸(N)」という設定になっていた。  そういう意味でも実質「UN」、または「T-TUN」となる二人には、 “KA”の要素がない。これもまた、メンバーの名前をベースにしたグループの限界点、「ギリギリ」を切り抜ける日々もこれまでといったところだろうか。

ハイフンに笑顔を取り戻してくれる日は訪れるか

 “KAT-TUN“のファンは、「ハイフン」と呼称される。これは、メンバーとファンをつなぐ存在という意味が込められている。6人が去り、そしてハイフンだけが残された、といった状況になってしまったといっては寂しすぎるだろうか。  個人的な話だが、田口脱退後の充電期間を経て、3人で本格的再始動をした時期に彼らに話を聞く機会があった。コンサート会場で久しぶりの彼らのパフォーマンスに喜ぶファンの笑顔に感激し、「もう寂しい思いをさせないように」と決意を新たにしていた。  もしかしたら今回の発表が、最大級の「寂しい思い」をさせることとなってしまったかもしれない。いわゆる解散ライブ的なものも予定されていない。  しかし、もう一度ハイフンに笑顔を取り戻してくれる機会が、何かのかたちでいつかあるといいな、なんてこともかすかに期待する。彼らがギリギリで生き続けてきたその先に。 KAT-TUN年表
ライター・編集・インタビュアー・アイドルウォッチャー(男女とも)。ウェブや雑誌などでエンタメ系記事やインタビューなどを主に執筆。
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