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「革命への確信」を49年間追い続けた男。東アジア反日武装戦線「さそり」元メンバー桐島聡の逃亡生活を元日本赤軍の映画監督が描く

発言の場を真面目に維持する

(c)「逃走」制作プロジェクト2025

作品製作をサポートするエグゼクティブプロデューサーの平野さんはそんな足立監督をどのように見ているのか。 「前作『REVOLUTION+1』(´22)もそうだけど、足立正生監督は一貫して「闘い続ける」ということをテーマにしてるんです。この作品は全共闘世代の自己満足映画ではないです。足立監督はそれを拒否したと僕は思っています」 平野さんはトークライブハウス「ロフト」グループの創設者であり、本作をはじめとした社会派の自主映画に出資を続けている。その原動力は何なのか。 「右翼からヤクザの親分まで発言を封じられた人に発言の機会を与える。それがロフトのスタイルです。あるヤクザの親分が言ってました。「街頭で演説しても誰も聞いてくれないけれども、ここでは俺の話をお金を払って聞いてくれる人がいる。感動する以外にない」と。そういう場を僕は作ったんです。ロフトはサザンオールスターズや坂本龍一、山下達郎が巣立っていった場所であり、音楽では儲けていました。なので、自主映画もトークライブも、意義のあるものであれば、赤字が出てもいいという感覚です」 そして、「僕らの世代は全共闘世代で、転向した人も就職した人もたくさんいるけれども、最低賃金問題はもちろん、闘い続ける人はいっぱいいる。それが僕の若い人たちに対するメッセージです」と続けた。 足立監督曰く、「ライブハウスを作って、サブカルチャーをカルチャーのレベルに押し上げたのは平野さん」とのこと。「メッセージを発信する場を絶対に維持するということを平野さんはやっている。そこがすごく真面目なんです。若者に新しい世界を見せるきっかけを与えている」とほほ笑んだ。

100%若者を支持したい

(c)「逃走」制作プロジェクト2025

政治の季節における若者たちの「反体制思想」に基づく暴力行為が、少なからず、人の身体生命の安全に危害を加え、時には尊い命を奪う結果を生じさせてしまったことは否定できない。翻って、令和の現代。暴力は強い者へではなく、弱い者へ向かっているとも言える。そんな現代の若者たちを足立監督はどう見ているのか。   「犯罪は個人と社会、個人と家族、というように、個人との関係が起点になっている。やはり、僕のような立場の人間からすると、問題の根本は、個人と社会、引いては政治との関係で起きているとしか思えない。それを個人の側からもう一回問い直す必要がある。 僕は社会を攻撃しますが、若者の攻撃は100%しません。若者は社会との関係の息苦しさがたまらなくなった時に罪を犯しているのではないでしょうか。例えば、若い夫婦が子殺しをしていますが、自分を見失うから子供が殺せるわけです。自分を見失わせてしまう社会が彼らに子供を殺させている。 僕たちの世代、全共闘世代、その後の世代はどんどん生きづらくなっていて、その生きづらさの証明のような犯罪が頻発している。 個人と社会のひずみの現れが犯罪ですが、その社会を作っているのは間違いなく政治です。日本は「個人と社会の問題は政治の問題である」ということを隠しているようにしか見えません。日本は問題を政治の問題にはしていないし、文化もそのことを指摘していない。 例えば今、世界中で流行っているのは、歴史上の政治的事件をモチーフにした映画です。隣の韓国は南北問題があるから政治と切り離したホームドラマはないし、アメリカでも、政治と切り離した自分たちの正義はあり得ないというスタンスに立って映画が作られている。 日本のクリエイターももっとそういう意識を持って「生きづらい若者たちをどうするのか」というテーマ設定をして映画にして問えばいいと思います。 この映画は絶対若い人たちに見てもらおうと思っています。桐島は49年逃げ続けたわけですが、若い時にどういう逃げ方をしたのか。どういう苦しさがあったのか、それを知って想像して欲しい」 最後の質問は次回作について。「一番悪い奴らを挑発し続けるのが映画監督としての私の仕事です」とインタビューで語っている足立監督が、次の作品で挑発したいのは誰なのか。足立監督の回答は「差し支えるのでやめておきます(笑)」とのこと。続けて、「平野が撮れと言っているものを撮ります」とした。 足立監督85歳、平野プロデューサー80歳。次の彼らの標的は何なのか。まだまだこの2人からは目が離せない。 【足立正生】 1939年生まれ。日本大学芸術学部映画学科在学中に自主制作した『鎖陰』(63)で一躍脚光を浴びる。大学中退後、若松孝二の独立プロに参加し、性と革命を主題にした前衛的なピンク映画の脚本を量産する。監督としても1966年に『堕胎』で商業デビュー。1971年にカンヌ映画祭の帰路、故若松孝と中東地域へ渡り、パレスチナ解放人民戦線のゲリラ隊に加わり共闘しつつ、パレスチナゲリラの日常を描いた『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』を撮影・製作。再び若松プロの問題作を書き続けるが、1974年、再度パレスチナの前線に赴き、重信房子とともに日本赤軍を創設、後に国際指名手配される。23年後の1997年、レバノンで逮捕されルミエ刑務所にて3年間留置され、2000年2月刑期満了、身柄を日本へ強制送還され、以後、日本での創作活動を再開。監督作として2007年、日本赤軍メンバーの岡本公三をモデルに描いた『幽閉者 テロリスト』を、2022年には安部晋三元首相暗殺事件の実行犯を題材にした『REVOLUTION+1』を公開し、現在に至る。 【平野悠】 1944年生まれ。ライブハウス「ロフト」創立者、またの名を「ロフト席亭」。1971年、ジャズ喫茶「烏山ロフト」をオープン以降、ロック・フォーク系のライブハウスを開業。1973年「西荻窪ロフト」、1974年「荻窪ロフト」、1975年「下北沢ロフト」、1976年「新宿ロフト」など次々とオープンさせた後、1982年に無期限の海外放浪に出る。5年にわたる海外でのバックパッカー生活を経て、1987年に日本レストランと貿易会社をドミニカに設立。1990年大阪花博のドミニカ政府代表代理、ドミニカ館館長に就任。1992年に帰国後は1995年、世界初のトークライブハウス「ロフトプラスワン」をオープンし、トークライブの文化を日本に定着させる。著作に『ライブハウス「ロフト」青春記』(講談社)、『セルロイドの海』(ロフトブックス)他がある。 <取材・文/熊野雅恵>
ライター、合同会社インディペンデントフィルム代表社員。阪南大学経済学部非常勤講師、行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、映画、電子書籍製作にも関わる。
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『逃走』

監督・脚本:足立正生
出演:古舘寛治 杉田雷麟 中村映里子
企画:足立組
エグゼクティブプロデューサー:平野悠 統括プロデュ―サー:小林三四郎
  アソシエイトプロデュ―サー:加藤梅造 ラインプロデューサー:藤原恵美子
  音楽:大友良英
撮影監督:山崎裕 録音:大竹修二 美術:黒川通利
スタイリスト:網野正和 ヘアメイク:清水美穂
編集:蛭田智子 スチール:西垣内牧子 題字:赤松陽構造 キャスティング:新井康太
挿入曲:「DANCING古事記」(山下洋輔トリオ)

【2025年|日本|DCP|5.1ch|110分】(英題:ESCAPE)©「逃走」制作プロジェクト2025
  配給・制作:太秦  製作:LOFT CINEMA 太秦 足立組
公式:kirishima-tousou.com
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