グローリー、おー、グローリー――フミ斎藤のプロレス読本#075【バンバン・ビガロ編エピソード10】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
2007年
バンバン・ビガロは「40代からはプロレスは趣味」と話していた。
ECWとWCWがたてつづけに倒産、活動停止となった2001年以後、ビガロはアメリカ各地のインディー団体で単発で試合をしていたが、首、肩、両ヒザの慢性的な故障と持病の糖尿病の悪化でその巨体はすでに限界に達していた。
引退試合、引退興行などをおこなわずになんとなくリングからフェードアウトしたビガロは、2004年に友人との共同出資でペンシルベニア州ハムリンに“バンバン・ビガロズ・デリ”というテイクアウト・レストランを開業した。
ホームタウンのニュージャージー州アズベリーパークからペンシルベニアまではかなり距離があるので、このあたりのディテールははっきりしないが、この時点でビガロはもうアズベリーパークには住んでいなかったのかもしれない。
“バンバン・ビガロズ・デリ”は、ビガロ本人がお客さんからオーダーを取り、食べものを袋につめ、レジを打ってくれるということでオープン当初は話題になったが、翌2005年、突然、閉店した。どうやら、接客業はビガロの仕事ではなかった。
「グローリー、おー、グローリーGlory,Oh,glory」
グローリーとは栄光、名声、誉れ。栄光の瞬間。神への感謝、賛美。名誉、誇りとなるもの〔人〕。繁栄。栄華。
プロレスのリングに上がれなくなったことで、ビガロは「オレはすべてのグローリーを手放してしまった」と考えた。
17年間、いっしょに暮らしたデイナ夫人と離婚した。離婚というよりは、弁護士になって経済的にも精神的にも自立したデイナさんにある日、家から追い出された。住む家を失い、ふたりの息子たちの親権も奪われた。
バンバン・ビガロとスコット・ビガロのアイデンティティーのあいだをさまよいはじめたビガロは、ハーレーダビッドソンにまたがって大西洋岸のフリーウェイをゆっくり南下し、フロリダまで流れていった。
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