野球教室は「水商売」…ホークス“日本一戦士”が経験した天国と地獄
狭き門であるプロ野球の世界。さらに、引退後までプロ野球に関わり続けられるのは、文字通り一握りにすぎないため、多くの選手は引退後に「セカンドキャリア」を模索する。ホークス(南海・ダイエー)を中心に守備と走塁で活躍した柳田聖人氏も紆余曲折のセカンドキャリアを送った一人。今回の記事では、オールスター(1998年)や日本シリーズ(1999年)にも出場した柳田氏に引退後の日々を振り返ってもらおう。
――現役引退後、ホークスの二軍守備・走塁コーチに就任しました。自分がプレーするのと指導をするという違いに戸惑いはありませんでしたか?
柳田聖人(以下、柳田):戸惑いはほとんどなかったです。現役時代に自分がコーチに言われてきたことや、自分が大事にしてきたことを伝えようと心がけていましたね。
――コーチとして重要なことは、どんなことだと思いますか?
柳田:サラリーマンは、普通に働いていてクビになることは基本的にはありませんよね。でも、普通に野球をしているだけでは、戦力外になってしまうのがプロスポーツの世界なんです。だからこそ、それぞれの選手の「プロとして戦っていける部分」はどこなのかを見極めるのはコーチの重要な仕事だと思って臨んでいました。
――そうした考えの背景には、ご自身のどんな経験があるんですか?
柳田:南海ホークスに入団して、最初はなかなか通用せず苦労しました。でも、移籍先のヤクルトで当時の野村(克也)監督は、試合に出してくれました。そこに私の走塁と守備を買ってくれているというメッセージを感じたんです。
――野村さんが各所でおっしゃっていた「一芸に秀でる」部分、柳田さんは足と守備だったんですね。
柳田:プロ野球に入ってくるのは、それまでチームや地区でトップの選手だった人たちばかりです。それでもプロの世界では通用しないということもよくあります。「俺はこんなもんじゃないはずだ!」と思っている場合も多いので、得意な部分を、「プロで通用する」ように伸ばしてあげることを大事にしていました。
コーチ時代に考えていたことは?
野村監督に教えてもらったこと
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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