ニュース

『亀井勝一郎 言葉は精神の脈搏である』 著者の山本直人さんに聞く

―[月刊日本]―

小林秀雄と並び称される存在

―― 山本さんの新著『亀井勝一郎 言葉は精神の脈搏である』(ミネルヴァ出版)は、その名の通り亀井勝一郎の評伝です。最近は亀井勝一郎を知らない人も多いと思いますが、どういう人物なのでしょうか。 山本直人氏(以下、山本) 亀井勝一郎は昭和期に活躍した文藝批評家で、昭和の終わりころまでは小林秀雄と並び称されるほどの存在でした。昭和52年(1977)に出された『新修 国語便覧』の「亀井勝一郎の評論と年譜」という項目には、「……小林秀雄と並び、対照をなす批評家として昭和期を代表する」と紹介されています。小学校の国語教科書にも亀井の文章が収められていたので、多くの人が亀井のことを認知していたと思います。  先日亡くなったシンガーソングライターの谷村新司も亀井を愛読していました。谷村は著書『本当の旅は二度目の旅』の中で、「亀井勝一郎さんの本は、大袈裟でなく、ぼくの人生を変えたといってもいい」と明かしています。また、令和2年(2020)8月27日付の読売新聞のインタビューでは、デビュー当時の「面影」をはじめ、「昴――すばる」「群青」「いい日旅立ち」といった曲の〝無常感〟の背景には、高校時代に読んだ亀井の著作の影響があると述べています。  亀井の著書で最も読まれているのは『大和古寺風物誌』だと思います。亀井についてあまり知らない人でも、この本のことは知っているのではないでしょうか。昭和28年に新潮社から文庫版の初版が刊行され、70年近くたった今日も読まれています。出版不況と呼ばれて久しい現在においてもなお根強く版を重ねているのは奇跡的といえます。  亀井は明治40年(1907)に北海道函館に生まれ、明治末期のキリスト教の雰囲気の中で育ちました。そこでピューリタンの伝統や内村鑑三が残した足跡に触れています。青年期には白樺派の人々や倉田百三など大正ヒューマニズムの影響を受けました。ゲーテを愛読し、ギリシャ精神にも思いを馳せています。昭和に入るとマルクス主義の政治運動にのめり込み、検挙されます。同じころ、小林多喜二が拷問死し、遺体を仲間と一緒に運ぶという経験もしています。その後、転向して日本の古典に回帰し、保田與重郎らと雑誌『日本浪曼派』を創刊しました。戦争が始まると戦争を擁護するような言論活動を行ったため、戦後は言論人としての戦争責任を追及されることになります。  こうした経歴は、亀井のみならず、昭和知識人の典型ともいうべき特色を兼ね備えています。そのため、亀井の足跡をたどることは、日本近代の精神史を追体験することにもつながるのです。

「後ろめたさ」を抱えた批評家

―― 亀井は共産主義運動や『日本浪曼派』などで活動していたときも、常に「後ろめたさ」を感じていました。そこが他の言論人たちとの一つの違いだと思います。 山本 亀井は裕福な家庭で育ち、学生時代は実家から十分な仕送りを受けていたので、経済的に苦しい思いをしたことがありません。亀井はそのことに罪の意識を感じていました。だからこそ「富める者」として「貧しき者」を救済するための政治運動に邁進したわけですが、自分は「先天的な傍観者」にすぎないのではないかという思いを抱えていました。  この思いは小林多喜二の死に直面したことでさらに強くなったと思います。亀井は、小林の共産主義運動への取り組みは死をも厭わぬ崇高な英雄行為だとし、自分には不可能だと記しています。実際、亀井も検挙され、裁判になっていますが、このときも父親が著名な弁護士をつけてくれています。亀井は自分の思想を貫こうとしますが、怒った父親から「送金を差し止める」と言われ、最終的に父親に従っています。  その後、転向し、『日本浪曼派』を創刊するわけですが、自分は裏切者だという後ろめたさをずっと引きずっていました。『日本浪曼派』では「生けるユダ(シェストフ論)」を連載し、イエスを裏切ったユダについて論じることで、自らの転向と向き合おうとしています。  しかし、『日本浪曼派』でも後ろめたさを感じることになります。函館で生まれ、キリスト教や大正ヒューマニズムに触れてきた亀井にとって、日本の古典はどこまで行っても「異国」でした。これは奈良で生まれ、古代の寺院や仏像などを見て育った保田との決定的な違いです。そのため、保田への羨望や気後れを感じていました。  もっとも、亀井は『日本浪曼派』以外にも複数の雑誌に関わっており、『日本浪曼派』にそれほど思い入れがあったわけではありません。後年、「しかし今でも不思議なのは、『日本浪曼派』というのが、なぜあんなに問題になるのか。ぼくは何んのことだか判らないんだ。今その時のものを読んでみると、つまらないんだよ」と振り返っています。  戦争が始まると、身近な友人たちが出征したり、補充兵として待機する中、亀井は「丙種の国民兵」として〝銃後〟に備えることになります。それでも何とか戦場の兵士の思いに近づこうとしますが、戦争に行っていない人間が戦争について語っても抽象論にしかなりません。亀井もそのことはわかっていました。当時の戦中派世代から「俺たちは毎日危機の連続なんだよなア。俺の友だちは大陸でたくさん戦死している。亀井さんのように貴族的な心境に立って、最初から安心立命しているのとは違うんだ」と詰め寄られ、「それは君たちの甘えではないのかネ。もっと自分をよく見つめて、状況にたいして責任のある態度をとろうとしなければ、ものごとの判断なんかつきやしない」と応じますが、そこに後ろめたさがあったことは間違いないと思います。 ―― 後ろめたさを感じることは、決して悪いことではないと思います。いま日本ではウクライナやガザについて様々な議論が行われていますが、議論自体は有益ですが、安全圏で戦争を語ることに後ろめたさを持つべきだと思います。それがなければ、いかにその分析が優れていたとしても、説得力は持ちえないと思います。 山本 文学に関していうなら、概して〝戦争文学〟という分野一般にいえることかもしれませんが、よほど正確な従軍戦記でもない限り、戦闘描写のリアリズムと戦場の現実との落差は避けられません。所詮は文学者が書斎で発想した戦争論にすぎません。  昨今、世界各地で戦争や紛争が頻発しており、日本も他人事ではいられない状況になっています。こうした中で言論に携わる人間はどのように身を処すべきなのか、そのことを考える上でも亀井勝一郎を見直すことには大きな意味があると思います。 (10月23日 聞き手・構成 中村友哉 初出:月刊日本2023年12月号) 山本直人(やまもと・なおと) 1973年埼玉県生まれ。東洋大学大学院文学研究科国文学専攻博士後期課程修了。博士(文学)。現在、東洋大学文学部日本文学文化学科非常勤講師、よみうりカルチャー講師、一般財団法人日本学協会専任研究員ほか。著書は『敗戦復興の千年史――天智天皇と昭和天皇』(展転社)など。
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。


gekkannipponlogo-300x93

月刊日本2023年12月号

南丘喜八郎 岸田総理!貴方には宰相の資格はない

【特集①】岸田内閣「危険水域」突入 混迷する日本政治
二階俊博  政治家たるもの命懸けで政治に取り組め
石破茂   税収増を還元する余裕はあるのか
三ツ矢憲生 自民党を割って政界再編を!
倉重篤郎  政局に走るな、政策を磨け

【特集②】ガザ・ウクライナ 即時停戦を求める
内田樹   それでも「他者との共存」を目指せ
春名幹男  鈴木大拙の哲学を停戦に生かせ
佐々木良昭 ガザ紛争・最大の原因はアメリカの弱体化だ

【特別インタビュー・対談】
佐高信(評論家)×R・ダイク 「戦争にかつこと」とは
山田正彦 種子の供給がまさかのストップ!種子法廃止は失敗だった
『亀井勝一郎』(ミネルヴァ書房)の著者・山本直人さんに聞く

おすすめ記事