ばくち打ち
番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(23)
こと「日本のカジノ用語」に関する限り、わたしはちょっぴり自慢してもよろしい、と自負する。
というのは、わたしが文章を発表するようになってから、日本の打ち手たちの「和製カジノ用語」が、ほんのわずかずつだが「正しいカジノ用語」に変わり始めているからである。
しかしそれでも、シャッフルされたカードを入れる箱およびそのセッションを「シューター」、BJ(ビージェイ。=ブラックジャック)におけるディーラーのオープンされた一枚目を「フェイス・カード」等々、と珍妙な用語を使う人たちは、まだ多い。
しょせん博奕(ばくち)でのターミノロジー(=専門用語)だから、意味さえ通れば間違っていても構わないのかもしれないけれど、実際問題として、マカオやマニラのカジノのBJ卓で、混乱や摩擦の原因となっているケースもままある。
ボックス4に配られた2枚のカードは8プラス4で、持ち点12。
ヒット(=もう一枚カードを引くこと)かステイ(=もう一枚カードを引かないこと)か迷っているボックス4の打ち手に、隣りのボックスに坐った関西弁のおっさんが、
「親の『フェイス・カード』は2なんやから、『ベイシック・ストラテジー』ではステイ。当たり前やんけ」
なんて、訳知り顔で指導したりする。
「フェイス・カード」が「2」って、いったいどういう状況なのか?
いや、そもそもこの状況下、「ベイシック・ストラテジー(BS。=BJで確率上もっとも有効な戦法)」では、ここはどうしてもヒットのケースなのだが(笑)。
おまけに、「あんたがヒットしたんで、親は21を引き上がったやんけ。このボケ」
なんて貶されたりしたら、セオリー通りヒットしたボックス4の打ち手は、まさに泣きっ面に蜂だろう。
あまたの抵抗勢力を撃破して、どうやら日本でも近い将来に、国家公認のカジノが開業するらしい流れとなってきた。
日本の公認カジノで、これから職員として採用される者たちは、間違いなく「イン・ハウス・トレーニング」で研修を受けることになるのだろう。その際講師となる人たちは、これもまず間違いなく、海外から連れてくる。
そうであるなら、日本での「正しいカジノ用語」の普及は、これからどうしても必要不可欠となるはずである。
* * *
さて蛇足かもしれないが、一応ここで取り上げた「和製カジノ英語」に対応する「正しい用語」の方も書いておこう。
「シューター」は、「シュー・ボックス(SHOE BOX)」が正しい。
先述したように、カジノで「シューター(SHOOTER)」といえば、「クラップスでサイコロを投げる人」を指す。したがってシャッフルしたカードを入れる箱のことを「シューター」と呼ぶのは、日本の非合法あるいは韓国の合法カジノ以外では意味をなさない。
ゲーム卓上に置かれたシャッフル済みのカードを入れる箱は、ディーラー側の底が高くなっている。そうした方が、カードをボックスから抜きやすいからである。
ちょうどハイヒールの靴を入れるボックスに似ている。それで「シュー・ボックス(=靴箱)」と呼ばれるようになった。(正規の呼び方は、“CARDS DISPENSER”。略して“ディスペンサー”)
その「シュー・ボックス」という呼称から導かれ、6デック(DECK。=トランプ52枚一組)なり8デックでおこなわれるワン・セッションを「シュー」と呼ぶようになった。
「ケーセンが素直で、いいシューだね」とか「地獄シューだ」といった使われ方をする。
続きはこちら⇒番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(24)
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番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(22)
わたしが日本を離れたのは、1971年、23歳の時だった。3年弱、世界をうろついている。
一時短い間日本に戻って身辺整理をし、1975年に本格的にイギリスに移住した。
この1975年からわたしは、ロンドンのカジノで賭博をシノギの手段とするようになっている。
それからシノギの場所は変わったが、もう40年以上、そんな生活をつづけてきた。
長期間よくぞ生き残れたものである。自分でも、感心している。
さて、カジノを生活の場とするようになってわたしが気づかざるを得なかったのは、日本で使用される「カジノ用語」の不思議さである。
たとえば、シャッフルしたカードを収納する箱のことを、日本の多くの打ち手は、「シューター」と呼ぶ。
通常、カジノで「シューター」といえば、クラップスでサイコロを投げる人のことを指す。
あるいは、「ジャッキー」という言葉がある。
これは「ブラックジャック」のことを意味する和製英語らしいのだが、普通カジノで「ブラックジャック」は「BJ(ビージェイ)」と呼ばれている。
もっとすごいのは、「フェイス・カード(FACE CARD)」だ。
多くの日本の打ち手にとって、BJ(ビージェー)でオープンされたディーラー側の一枚目のカードが、「フェイス・カード」だそうである。
しかし日本での非合法のもの、あるいは韓国の合法カジノ以外で「フェイス・カード」といえば、「絵札」を意味する。数字ではなくて、ジャック・クイーン・キングと王族の「顔」が描かれているから「フェイス」カードなのである。
その他、持ち点が21を超したことを意味する「バスト(BUST)」が、ジャパニーズ・スピーカーには発音が似ているらしい「バースト(BURST)」となったり(ただし、イングリッシュ・スピーカーにはまったく別音)、「ディファレンシャル」が「バランス」となったり、明らかな間違いや意味をなさない「和製カジノ用語」が多々存在する。
勝負卓の横に立ち、ゲームの進行を監視しているのは、「インスペクター」ないしは「スーパーヴァイザー」であり、「ピット・ボス」ではない。
英語で「ボス」というのは、もちろん「長」を意味する。そのセクションでは一番偉い人だ。「ピット(数台のゲーム・テーブルで囲まれた一区画。=島)」の中に数人も、「そのセクションで一番偉い人」が居るわけもあるまい。
なぜそのような用語の混乱が起きたのか?
1968年3月28日、韓国ソウル広津区で執り行われたウォーカーヒル・カジノのお披露目パーティにその原因があったのではなかろうか、とわたしは邪推している。
豪華豪勢な会食のあと参加者たちは、もちろんゲーミング・フロアでの博奕(ばくち)に導かれた。
そこでバッタまきや手本引きしか経験のない招待客たちに、きっと東声会の若い衆たちがゲームのルールや用語を、いい加減に説明したのだろう、とわたしは勘ぐる。
もちろん東声会の若い衆たちだって、事前にカジノ・ゲームの講習くらいは受けていたのだろうが、いかんせん、付け焼刃。
それゆえ、現在まで連綿とつづく「日本のカジノ用語」の混乱が始まった。
以上が、摩訶不思議な「和製カジノ用語」成立に関する、わたしの邪推というかEDUCATED GUESSである。
不思議な現象には、かならず不思議な原因が存在する。
「和製カジノ用語」にかかわり、これよりもっと説得力をもつ説明があるとするなら、是非、わたし宛か編集部宛にご一報いただきたい。よろしく。
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番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(21)
そういったバッタまき(=アトサキ。赤黒二巻の花札を、サキとアトに3枚ずつ配り、9に近い持ち点の方が勝つ日本の伝統賭博)の客たちを、韓国で新規オープンとなった、小規模とはいえラスヴェガス流のカジノに連れて行った。
1968年3月28日のウォーカーヒル・カジノお披露目パーティに招待された800人か1600人の客のうち、まだ現役で博奕(ばくち)を打っている人が、4人現存している、と言われる。
おそらく当時は20代後半か30代前半だったのだろうが、いくら資産をもっていたとしても、この世界で半世紀を生き残ってきたのは、並大抵の才能ではなかったはずだ。
じつは、その生き残り4人の内の一人を、わたしは存じ上げている。
現役も現役、たまにマカオの大手ハウスでお見掛けするし、OZ(=オーストラリア)のカジノでもお会いしたことがあった。
ご老齢ながら、背筋をしゃきっと伸ばし、バカラ卓に対して45度の角度に上体を傾けて、カードを絞る。
斜めシボリの人なのだが、それがぴたりと決まっている。
顔に深く刻まれた皺(しわ)には、ご老体の勝負の歴史が埋め込まれていた。
勝っても負けても、表情ひとつ変えない。眉の毛一本動かさない。
渋い。
歴戦の勇士。まさに古武士の風格である。
「町井さんのところから声が掛かって、ソウルのパーティには参加した。他の人たちもほとんどがそうじゃなかったのかね。自分たちはバッタまきしかやったことなかっただろう。関西からの人たちだって、手本引きの場の客だ。ルーレットは見てりゃすぐにわかるんだが、ブラックジャックとかバカラとか、カジノで採用されてるゲームなんて、やったことがない。それで、東声会の若い衆が、テーブルごとに一人ずつついて、ゲームのルールやプレイの仕方を説明してくれたんだ」
と、たまたまマカオでお会いした時、ご一緒した食事の席で、ご老体がウォーカーヒルのお披露目パーティの様子を語ってくれたことがあった。
その食事の席には、この業界が永い某ハウスのVIP部ディレクターもアテンドしている。
それで、韓国カジノとはかかわりがない業界裏話も、いろいろと交わされた。
「以前Mでお世話になったXXさんは、どうしています?」
とVIP部ディレクター。
「ずいぶん前に死んでるよ。首をくくったと聞いている」
とご老体。
「しばらく、Yさんの話も聞きませんね」
「あれは、華々しく破産」
「ZZZさんは?」
「10年も前にチョーサンした」
「チョーさん、って?」
「会社が不渡りを出して、夜逃げだ。逃散だ。マレーシアで、若い奥さんとひっそり暮らしているらしいぞ」
死屍累々(ししるいるい)、嫌になるほど死屍累々。
まったく博奕(ばくち)の世界は、裏哀しい。阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄である。
笑うところじゃないのだが、それでもわたしは、はっはっは。
思わず、吹き出してしまった。失礼。
しかしこの時の会話があったので、わたしが永い間抱いてきた疑問の一部が、氷解するヒントを得た、と心得る。
ここで話がまた飛ぶ。どんどんと飛ぶ。
これはわたしの思考様式がそうなっているのだから、仕方ない。
我慢してお付き合い願いたい。それがイヤなら、読むなよ(笑)。
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番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(20)
1968年3月28日、約800人のゲストが招待され、豪華・盛大なお披露目パーティが、ソウル広津区のウォーカーヒル・ホテルで開催された(このお披露目パーティは2回開催され、計1600人のゲストが集まった、とする説もある) […]
番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(19)
もちろん、大手ハウスのジャンケット・ルームやプレミアム・フロアで、まっとうな稼ぎから得られたまっとうなカネで、太い博奕(ばくち)を打つ人たちがいないわけじゃない。しかしそれは、前述したように少数派だ。 そういう清廉潔 […]
番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(18)
新規オープン後5年間ほどは、ジャンケット事業者を排除した形でも、澳門金沙(マカオ・サンズ)の開業時のように総投資を8か月間で全額回収する、などといったことは起こらないにしても、日本のカジノは充分以上の収益が見込める、と […]
番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(17)
ここまで長々と、ジャンケットおよびその関連について、まとまりもなく書き連ねてきた。 一般客ではなくて、いわゆる「ハイローラー」たちの取り込みが、いかにカジノの収益を左右する死活問題たりうるか、すこしでもおわかりいただ […]
番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(16)
繰り返すが、カジノの「売り上げ」とは、バイイン(打ち手によるチップの購入)・マイナス・ペイアウト(ハウスによる払い戻し)の金額を意味する。つまり、一般会計上では、「粗利」に当たる。 日本ではここをよく理解していない人 […]
番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(15)
2004年5月にオープンした澳門金沙(マカオ・サンズ)は、マカオ経済にまるで冗談みたいなインパクトを与えた。 2004年第2四半期のマカオのGDP(国内総生産)が、前年比54.1%も増加したのである。 以降、続々と […]
番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(14)
全投資を8か月で回収してしまった件もそうなのだが、当時の澳門金沙(マカオ・サンズ)には、当たり前ならとても信じられないような話が、ごろごろと転がっていた。 オープンは2004年5月18日で、その月の入場者数は50万人 […]