ばくち打ち
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(17)
どちらにせよ、国境を越えるカネの動きにかかわる設定は、都関良平の守備範囲外である。
良平は、制度的に承認というか黙許された仕組みを使って、カネを動かす方の人間なのだから。
「警察庁ないしは霞が関のアタマのいい人たちが、きっと好都合な制度を考えてくれますよ」
と高垣が言った。
なにしろ「三店方式」だからパチンコでの換金は賭博罪に該当しない、などというトンデモ制度を平然とおこなっている国だった。警察の利権さえ絡めば、ほとんどのことは、合法ではないかもしれないが、違法として取り締まられることはない。
「そういった面倒なハードルの処理は偉い人たちにまかせるとして、で、都関さんがうちの研究所に来てくださるとするなら、条件を決めておきたい」
高垣がつづけ、冷たくなった茶を啜った。
「じゃ、わたしはここで失礼する。雨だから、おたくの車を使うよ」
柳沢が、席を立つ。
こういう人は同席してくれないほうが話が進む、と良平は思う。
でもどこに行っても、日本の企業はこのての人間が多かった。
将来への不安で消費が落ち込み、企業には経費削減が求められるなら、まずこの連中を切ればいいようなものだが、実態はまるでその逆だ。どんどんと増えていく。制度が内臓から皮膚を喰いちぎるところまで増殖する。それはすでに昭和初期に経験ずみだ。
昔から日本の賭博業界では、
――やくざにミカジメ、警察に保険。
と言われていたのだが、『暴対法』や地方自治体での『暴排条例』等の成立によって、やくざのシノギが丸ごと警察に刈り取られてしまった。
ぶくぶくと肥(こ)えていくのは、行政と政府関係者のみ。
――警察にミカジメ、政権党に保険。
といったところが現状であろうか。
「2500万円ほどで、どうですか」
柳沢が去った応接室で、なぜか声を落とした高垣が問う。
「月収ですか?」
思わず良平は訊き返した。
「ご冗談を。オーナーの社長は別として、うちでは本社の副社長だって、億円プレイヤーじゃありません」
と高垣。
話にならなかった。
そりゃ、いい年も悪い年もあった。しかし、三宝商会がジャンケットとして上げる年間の営業利益だけで、ここ数年800万HKD(1億2000万円)を割ったことがない。そこから諸経費を差っ引いても、良平の手元には、年5000万円相当が確実に残った。
それだけではなくて、三宝商会としておこなった投資からの収入もある。
主にマカオ・タイパと海南(ハイナン)島でのコンドミニアムへの投資だったが、これも結構な利率で回転している。
人の下について苦労するというのに、そんな端金(ハシタガネ)の提示はなかろう。
「それは、ちょっと」
良平は口ごもった。
日本における初の公認カジノの創設には、ウラからかオモテからかはわからないが、かかわってみたい。
しかし、多大な経済的犠牲を払ってまで、協力する気はなかった。
「ご不満ですか?」
と高垣。
「はい、不満です」
良平は臆せずに、リゾートJJ社の代表の顔を正面から見返し、はっきりと答えた。(つづく)
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(16)
なぜそんなに時間がかかったのか?
日本のオモテとウラの経済に、そうしなければならない事情があったからである。
想い返せば、メガバンクが良平をジャンケットとして香港に送り込んだのは、そういった「オモテに出しづらいカネ」を担当させるためだった。
つい最近まで、『香港四人衆』などと呼ばれた連中が、香港にオフィスを構え、大手を振って活動していた。しかし、日本の国会で『パレルモ条約』が批准される
すこし前には、消えている。
『香港四人衆』とは、日本の国税OB、国際金融の専門家をコア・メンバーとする集団だった。番頭格の男は警察出身である。
もう、どうなっていることやら。
都関良平は、柳沢の顔を見ながら、心の中で苦笑した。
「FATFの審査が済むまでは、どこも目立ったことはできない。だから現在はキレイなものです。でも東京オリンピックが終われば、不況になることはわかりきっている。なんとかカネを外に持ち出す仕組みを編み出さなくてはならない。ヴァージン諸島とかケイマン諸島経由といった方法は、そのころ使えなくなっていることだろうから、むしろアメリカのデラウェア州あたりを経由させて、ぐるぐる回す。そこいらへんは金融界の優秀な人たちが頭を絞っている」
と柳沢が応えた。
「それを警察が見逃すのですか?」
と高垣が柳沢に向いた。
そこは良平も訊きたかったことだ。
「見逃すもなにも、警察が決めるのです。日本の警察は、法律上、行政機関であるだけではなく、司法機関(『警察法』第二条1項)でもあるのです。許認可権と捜査権を同時に持っている。もうぶっちぎりで最強。やろうと思えば、なんでもできます。だから裁判所が発行した逮捕状を、ホントかどうかは知らないけれど、いち警察官の独断で握りつぶしたなんてことも起きる」
ああ、ジャーナリスト志望の女性への準強姦事件のことを言っているのだな、と良平は察した。
法治国家で起こってはならないことが、日本では平気で起こる。
そして誰も罰せられない。
永田町とつるんだ際の警察が、「もうぶっちぎりで最強」である点は、良平も認めざるを得なかった。
それゆえ日本では、マスコミからゼネコンまで、通信から兵器産業まで、公営競技からパチンコまで、警備業界から麻雀屋の組合まで、輸出入関連から旗振りおじさんを派遣する会社まで、どこでも「元オマワリさん」たちの天下りが入っている。
そういえばマカオで、
――3000万円でどんな事件でも不起訴にしてやるぞ。
なんてフカしていた元県警本部長なんてお方も居たっけ。
「最初の数年間は、公営競技だのパチンコのファンたちでもたせる。というか連中だっていいカネになるはずです。でもそんなのはすぐにカネが尽きて枯れてしまうだろうから、7年後の『見直し』にも照準を当てた経営戦略をつくっておく。いつまでも日本のヒラ場客を主なマーケッティング・ターゲットとしているようでは、超巨大なパチンコ・ホールと同じになってしまうね。しかも賭博控除率はパチンコの8%じゃなくて1%前後です。そんなものに、大手カジノ事業者がとても1兆円の投資はできないでしょう」
高垣がまとめた。
確かにそのとおりなのだが、依然として国境を越えるカネの移動の部分は未解決のままである。(つづく)
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(15)
「なるほど。日本の大口客が見込めないとすると、ターゲットとする市場はアジアですね。中国やインドネシアといった国内でカジノが禁止されている国からのハイローラーたちを日本に引っ張ってくるのは、それほど難しいことではないはずです。『内国人入場禁止』のカジノがほとんどの韓国からも、引っ張ってこられると思います。しかし、問題となるのは、カネの動かし方だ。ほんの一部を除けば、ハイローラーの皆さんはカネがトレースされるのを嫌がるわけですから」
と都関良平(とぜきりょうへい)。
窓の外は、霧雨が雨脚の見える本格的な降りに変わっていた。
「そこなんです。それで日本でのカジノ開業に関係しようとする企業は、こぞって国際金融の専門家を雇っているか、あるいはこれから雇用する予定です。柳沢さんは、警察庁時代は『マネロン』を担当する部署にいた。それでうちの親会社の方に来ていただいたのですから」
やはりそうか。
日本国内で一般に考えられているのと異なり、じつは日本の金融界は「マネロン天国」と国際的にとらえられている。
FATF(Financial Action Task Force)という国際機関がある。
要は、グローバル化された世界における国境を越えたカネの動きを監視・審査する国際政府間組織だ。本部はパリにある。
FATFの2008年の審査で、日本は「マネロンやり放題の国」との不名誉な格付けをされた。評価の指標となる49項目のうち、10項目で最低の評価を受けているのである。いわゆる先進国(OECD加盟国)で、こんな低評価を受けた国はなかった。
2019年秋には、再び日本に審査が入る予定だそうだ。
審査の対象は、大小の銀行だけではなく、郵便局や証券・保険業界と広く金融関連全般が含まれる。
それで日本の金融界が、いまから戦々恐々の状態に陥っているのは、よく知られているところだ。
地下社会のみならず、政界・経済界でも日本での「オモテに出しづらいカネ」は、現金でやり取りされる場合がほとんどだ。ロッキード事件ではダンボール箱に入れられた5億円分の札束、金丸信・元自民党幹事長事件でも、いやいや最近の甘利経済再生相(当時)の事務所や大臣室でも、キャッシュが授受されていた。
現金には住所氏名が書いていない。それゆえ、アシがつかない。
その現金をそのままウラ社会でやり取りする分なら、確かに問題は生じない。しかし、そのカネをいったんオモテ社会に出すには、それなりのプロセスを踏まなければならなかった。
問題が国際化する以前の日本では、この役割を大小の金融機関が請け負っていたのである。
『国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(略称・国連組織犯罪防止条約、のちにパレルモ条約とも呼ばれた)』が国連で採択されたのが2000年だった。
「国際的な組織犯罪の防止」のための国連の条約なのに、だが日本の国会でその条約が批准されたのは、なんと17年も経った2017年である。
なぜか? (つづく)
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(14)
「大阪・東京なら1兆円を超える投資となるのでしょう。どんな大企業でもそう簡単に調達できる額じゃない。おまけにラスヴェガス系の大手は、どこも有利子負債が大きいのです。MGMなんて、1兆5000億円の有利子負債を抱えている。 […]
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(13)
翌日午後、都関良平(とぜきりょうへい)は六本木にあるリゾートJJ社を訪ねた。 リゾートJJ社のオフィスは、六本木交差点を飯倉片町に向かう外苑東通りに面したビルの中にあった。 約束の3時に余裕を持って行ったのは、大き […]
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(12)
先方にも事情があることだろうから、ジャンケット業者に怪しげな客がつくのは、ある意味、必然だった。カジノのVIPフロアでは、「怪しげな客の怪しげなカネ」が張り取りされるのはしかたない。 しかし銀行員時代を含め、良平は「 […]
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(11)
55億円分のババをつかまされた「積水ハウス事件」(五反田駅から徒歩3分の旅館『海喜館』を舞台にした架空売却)とか、被害が12億6000万円だった「アパホテル事件」(溜池の駐車場を舞台にした架空売却)とかは、関東では知ら […]
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(10)
2013年に、北京政府が「蠅も虎も叩く」とする反腐敗政策を掲げたからだった。 北京政府の意を受けて、マカオ政府によるカジノ事業者およびジャンケット事業者への規制も厳格化していく。 それだけではなくて、香港やマカオに […]
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(9)
札幌での集金は、思いのほかスムースに運んだ。 こっちの方は、客にではなくて、マカオの別の大手ハウスでサブ・ジャンケットをやっている同業者の五島に貸したカネだった。 「景気いいんだね」 と都関良平がきくと、 「オモテ […]
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(8)
確かに博奕(ばくち)とスケベイの両方で、マカオを訪れる客も多かった。 でも大口の客でなければ、手っ取り早く金龍酒店や利澳酒店といった中規模地元ホテルに併設された桑拿(サウナ)に放り込めば、それで済む。 モデル級の女 […]