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タズ師範がECWスクールを“道場”と呼ぶ理由――フミ斎藤のプロレス読本#120【ECW編エピソード12】

タズ師範がECWスクールを“道場”と呼ぶ理由――フミ斎藤のプロレス読本#120【ECW編エピソード12】

『フミ斎藤のプロレス読本』#120 ECW編エピソード12は「タズ師範がECWスクールをドージョーと呼ぶ理由」の巻。ECファッキンWは次代の選手育成にも着手していた(Photo Credit:Linda Roufa)

 199X年

 “血と汗と涙”はジャパニーズ・ピープルだけの特権ではない。英語にも“ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズBoold,Sweat,and Tears”といういいまわしがちゃんとある。

 ECW直営レスリング・スクール“ハウス・オブ・ハードコア・ドージョーHouse Of Hardcore Dojo”にやって来るプロレスラーの卵たちに必要なものは、血と汗と涙と3000ドルの受講料なのだそうだ。道場のボスはタズ師範である。

 スクールのフロントドアには“ハウス・オブ・ハードコア・ドージョー”という看板がかかっている。トレーニングをする場所が“ドージョーDojo”で、インストラクターは“センセイSensei”。

 いずれもアメリカ英語にアダプトされつつあるトラディショナルな日本語群だ。地元ブルックリンの町道場で9歳から柔道を学んだタズにとってドージョーはドージョーであり、センセイはセンセイである。

 タズがタズにたどり着くまでにはそれなりの時間がかかっている。本名はピート・シニーチェ。ハワイのコナ生まれで、ブルックリン育ちのニューヨーカー。ハイスクール時代はフットボールもやったし、レスリングにも汗を流した。

 フィジカル・セラピスト(理学療法士)をめざしてマサチューセッツ大学に進んだが、成績が悪かったし学費も高かったため4年で退学。肉体労働で生活費を稼ぎながら“ジョニー・ロッズ・レスリング・スクール”に通い、1987年春にニューヨーク・エリアのインディー団体でプロレスラーとしてデビューした。

 いちばん初めのリングネームがタスマニアン・デビルで、そのあとがタズマニアック。ほとんど偶然のようなブッキングでW★ING、新日本プロレス、武輝道場、平成維震軍のリングに上がった。

 オーストラリアの先住民系ヘア、先住民スタイルのターザン・タイツ、素足といういでたちはタズ自身が発案したギミックではなかった。ある日、だれにもいわずに髪を短く刈り込んでみたら、自分がなりたいタズのビジュアルが浮かんできた。

 イメージカラーはブラックとオレンジで、リングコスチュームはアマチュア・レスリング式のシングレット・タイツと短いリングシューズだけ。

 リングに向かうときは、黒のスポーツタオルを頭からすっぽりかぶる。花道を歩きながらタオルの内側からときおり鋭い眼光がちらちらのぞく、というのがキャラクターといえばキャラクター。

 マイク・タイソンとおそろいのバズ・ヘアドゥーは、ブルックリンのローカル中学生の“目印”なのだという。

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ベビーフェースでもヒールでもない

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