大仁田厚は「抹茶のアイス、食います?」といってニラみ微笑んだ――フミ斎藤のプロレス読本#118【ECW編エピソード10】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
大仁田厚は、口をとんがらせて「さっき、コーヒー飲んだばっかだしなー」とつぶやきながら、つまらなそうな顔でベージュのカーボード紙のメニューをながめていた。
遠くのほうにみえるグランド・ピアノのまえでは、黒のシルクのイブニングドレスを着た女性が楽譜かなにかに目をとおしている。もうすぐ、カクテルアワーの独奏がはじまるのだろう。
天井がずいぶん高くて、オレンジ色のやさしい明かりが上のほうからこちらを照らしている。このホテルには何年かまえに“アラビアの怪人”ザ・シークが泊まっていたことがある。
明るくも暗くもなく、静かで、時間と場所の感覚があやしくなりそうなくらいひたすら広い喫茶店には、大仁田とぼくのふたりしかいなかった。
大仁田は“電流爆破”とか“有刺鉄線”とかありとあらゆる荒唐無稽なデスマッチを発案・開発した大プロデューサーであり大プロモーターである。
たぶんおろしたてであろう黒の革ジャンを脱ぐと、その下には真新しい黒のTシャツを着ていた。デスマッチの勲章であり実験結果でもある裂傷の数かずが左右の腕に刻み込まれている。
シルバーのメタルフレームのメガネはいったいなんなのだろう。大仁田は近眼なのだろうか。それとも、伊達メガネはタレントとしての“プライベート変装用”のアイテムなのだろうか。
大仁田は、そこに座ってコーヒーを飲んでいること自体がドラマかVシネマのワンシーンみたいになってしまうくらい非現実的なセレブリティーなのだろう。
「きょう、これからピアスの穴、開けにいくんですけどね」
大仁田は、ここ、といって左の耳たびを指さした。まだ新品だから袖のところが堅い“筒”みたいになっているライダース系の黒の革ジャン。まだインディゴの青さがディープなリーバイスのデニム。そして、これからブチッとピアスの穴を開けてくるのだという左の耳たぶ。
40歳になって、また最初から不良をやり直すつもりらしい。あの“大仁田厚”がいつのまにかそんな年齢になってしまったのである。
「なんといわれたっていい。役者の仕事も好きだけれど、やっぱりプロレスがいちばん好きだから、これはオレの生きがいだから、だれになんといわれようと、なにを書かれようと、やっちゃいますよ、オレはオレのやりたいように」
大仁田のとんだった口から出てくるコメントは、ロックンロールの歌詞のようでもあり、お坊さんのお経のようでもあった。
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