「公正中立」な報道なんてないのだから――時事芸人・プチ鹿島×評論家・荻上チキ対談
鹿島:お互い自分の居場所にいて、意外と相手の陣営を覗いてないんですよね。僕もTBSのラジオに出ると「左だ」と言われ、フジテレビに出ると「右だ」と言われる。やってることは同じなのに(笑)。それでレッテルを貼っちゃうのはもったいないと思うんです。僕は野次馬だから、相手が何を言ってるのかな? と覗きに行く。自分の席とは逆をたまには見るのが必要だと思います。
荻上:僕はツイッターも左と右、それぞれのタイムラインを見ているんです。いろんな人をフォローして、「さあ、何してるのかな?」って見ると、面白い。
鹿島:見え方が全然、違いますよね。
荻上:そうなんですよ。でも、朝、見るものじゃない。具合が悪くなる(笑)。
鹿島:カロリーがいりますからね。
荻上:互いに引用し合わないんですよ。ときどきどちらかがやらかしたときだけ、その発言を攻める。「これだから、ネトウヨは!」「これだから、パヨクは!」みたいな感じで。互いの底辺を攻撃することで、自分の優位性を誇るみたいなゲームばかりやっていて、それでは言論の質は上がりません。
鹿島:「朝日新聞死ね」といった発言に対し、「よくぞ言った」と溜飲を下げる人がいたりする。言ってしまった者勝ちでは決してないんですけれど、言ってしまったもの勝ちだと思ってしまっている人がいるんですよね。
荻上:ファンマーケティングみたいなものですよね。ネット上で「いいね」やレスポンスがあると気持ち良くなってしまう。その層に向けて書籍を出すような動きもあるし、「新聞を読んで気持ちよくなる」という面も実際にあるわけですし。
鹿島:自分が気持ちよくなるものしか見ないし、読まない。結局、自分の陣地からまるで動かず、遠く離れて雪合戦しているようなものですよね。それもまぁ、いいけれど、もうちょっとお互いが何を言っているのか、相手の陣地に入って見てみるくらいのことは必要だと思います。
荻上:ちょっと気になるのが、最近、芸人さんのニュース語りってのがすごく増えていますよね。鹿島さんやサンキュータツオさんはちゃんと勉強されて、ネタに昇華させていますが、そのキャラクターの強みとか話芸でニュースを語る人が目立ちます。
鹿島:あえて知識は知らないけれど、この自分がどう見たか、どう感じたかという語りは多いですね。
荻上:いろいろな切り口はあっていいと思うんです。ただ、“不勉強”っていうのは、やっぱり正解にたどりつけないんですよ。
たとえるなら、僕がいきなりルミネの舞台に立つようなものです。それぞれのジャンルで、それぞれいろいろなスキルが必要なはずなのに、ニュースになると「この切り口でOK」といった格好で芸人やタレント、俳優が一言物申す。もちろん、誰もが政治にコメントを挟む自由はあるんですが、お笑いでいうとスベッてるようなことを、審査の基準が甘いフィールドでやらないでほしいと思うんですよね。
鹿島:専門家問題ですよね。オウム事件からワイドショー的なものに弁護士さんが出るようになりました。専門的見地から事件の解説をした流れで、そのまま芸能ニュースにも弁護士がコメントするようになった。僕はあの頃、視聴者だったから、ただの下世話な芸能スキャンダルに対し、弁護士という肩書きで信用されてコメントしてるのっておかしいじゃん!って思っていました。それがずっと広がって、芸人にまできたってことなんでしょうね。
荻上:お笑い芸人の方が昼間のワイドショーや情報番組に出て、いろんなコメントを言うと、世論の拡大再生産になるんですね。お笑いって、ともすれば差別の再生産につながってしまう。自分たちの身体性を笑いに変えることと、他の属性の当事者を巻き込むことは別問題なんだけど、そういったノリで良し悪しを議論することが、テレビはここ数年すごく増えました。
鹿島:ある種のわかりやすさというか、ダメなわかりやすさを、視聴者は求めているのかなと思います。テレビの前の人も、新聞をすべて読んでいるわけではないし、日常に忙しいからニュースを全部チェックしてるわけじゃない。だから、今まで生きてきた“肌感覚”でどう思えばいいのかっていうのをシェアしているんじゃないですか。
荻上:ご意見番が、「言いにくいことをよくぞ言ってくれた!」みたいな言われ方もしますが、「言いにくいこと」は別に正解じゃないですから。
鹿島:しかも、そんなにたいしたこと言ってませんよ。芸人も。
芸人の政治語りについて
『芸人式新聞の読み方』 「川口浩探検隊とプロレスでリテラシーを学んだ」と言う時事芸人・プチ鹿島氏が、新聞の楽しみ方を指南する一冊。「この世界は、白黒つかないものばかり。だから、自分の中の正義を疑い、新聞を味わい、人間の営みを楽しむのだ」(本書より) |
『すべての新聞は「偏って」いる ホンネと数字のメディア論』 安保法制や軽減税率など過去の新聞記事を引用しながら、あるいは独自データを用いながら、各メディアの「クセ」を提示。「バイアスのないメディアなど存在しない」という前提に立ち、その「クセ」を詳らかにすることで、分断する社会で溢れる情報とつきあう具体的スキルを提示する。 |
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