「公正中立」な報道なんてないのだから――時事芸人・プチ鹿島×評論家・荻上チキ対談
安保法制や原発再稼働などのニュースに対し、新聞各紙は社説でどんな論陣を張ったのか? 各紙、どんな有識者に語らせているのか? 首相はどこのメディア人と会い、食事を共にしているのか?……
新聞を読み比べ、数え、各紙の「偏り」を提示した一冊が、評論家・荻上チキ氏の『すべての新聞は「偏って」いる ホンネと数字のメディア論』(扶桑社)だ。
一方、「時事芸人」として知られるプチ鹿島氏も、『芸人式新聞の読み方』(幻冬舎)で、新聞を擬人化し、新聞の味わい方を提唱している。
アプローチは違えども、共通するのは、「不偏不党・公正中立など存在しない」ということ。荻上氏と鹿島氏が、“分断”する社会をつなぐ新聞の読み方について語り合う。
荻上:新聞の見方をどう提示するかもひとつの芸ですよね。僕は数字を出すスタイルをとり、鹿島さんは各新聞の立ち位置を明確にするために、擬人化をしている。朝日はインテリおじさんで毎日は書生肌のおじさんで、毎日は朝日に比べて地味な「書生肌のおじさん」というように。
鹿島:M-1の審査員じゃないですけど、新聞も結局、「どっちが好き嫌い」ってなっちゃうじゃないですか。
荻上:和牛のほうががよかったのに! とかね。
鹿島:新聞を好き嫌いで語ると、ガチンコの言葉の投げつけになってしまう。それを回避するために、僕はキャラ設定をしたんです。朝日を一番熱心に読んでいるのが産経で、だけど、朝日はそれをスルーする。朝日おじさんは産経おじさんからどんだけ絡まれてもツーンとしてる。そんな関係を想像するとたまらないわけです。
荻上:産経は、朝日に対して「NO!」とつきつける僕らを読んでね、というスタンスですもんね。朝日おじさんは、むしろ、政治家のほうをよく見ている(笑)。
鹿島:結局、どっちが正しいという話ではなく、新聞は毎朝、おじさんたちが自分の正しさを主張しているわけです。そう思うと読み比べはガゼン、楽しくなる。チキさんの本にもありましたけど、同じ保守系統でも、読売おじさんと産経おじさんだって、実は違う。そういうのが面白いですよね。
荻上:最後まで己を貫く産経と、まあこの辺りでと大衆をやんわり誘導する読売というのはありますよね。
鹿島:読売新聞はなんだかんだ言って一番売れている新聞です。コアな部分には行きたいけれど、振り切れないというか。昨年5月、安倍さんが憲法改正について聞かれ「読売新聞を熟読して」と言ったとき、産経おじさんはやはり、悔しかっただろうなと思いますよ。
産経は記事でも、「読売のインタビュー」とは書かず、集会のビデオで安倍さんが話したという書き方をしていて、悔しさが滲んでいました。
荻上:「なんでうちじゃないんだ!」と。「こんなに応援してるのに……」って。
鹿島:僕、チキさんの本のタイトルはスゴイなって思うんですよ。「すべての新聞は偏っている」と言われ、僕なんかは、「そう! そう!」って思うんですけど、「えっ!?」って思う人も多分いると思うんですよ。「偏向報道だ!」って怒る人たちですよね。でも、すべてのニュースは誰かがフィルターをかけ、誰かがGOサインを出しているモノなんですよね。
荻上:ニュースに触れるときには、何を取り上げ、どう語っているのかそれぞれの「偏り」を踏まえて自分で判断をするというのが重要なんですよね。でも、今はどの「偏り」にコミットするかという話になってしまっている。一方を「偏向」と言うことで、自分がセンターにいるかのようにふるまったり。ツイッターの自己紹介欄にある、「普通の日本人です」みたいな。
鹿島:「普通の日本人」って、一番、ざわざわしますね。
荻上:「中道です」とか。
鹿島:自分の考えている中道こそ危ないですよね。
荻上:僕はよく、「お前のような左が!」とか言われるんですけど、すごい“右から目線”から来るわけです。僕自身はどの立場だと思われてもいいんですけど、そんなウイング右から言われても、その距離感はすごいよと。
己を貫く「産経」と大衆を意識する「読売」
『芸人式新聞の読み方』 「川口浩探検隊とプロレスでリテラシーを学んだ」と言う時事芸人・プチ鹿島氏が、新聞の楽しみ方を指南する一冊。「この世界は、白黒つかないものばかり。だから、自分の中の正義を疑い、新聞を味わい、人間の営みを楽しむのだ」(本書より) |
『すべての新聞は「偏って」いる ホンネと数字のメディア論』 安保法制や軽減税率など過去の新聞記事を引用しながら、あるいは独自データを用いながら、各メディアの「クセ」を提示。「バイアスのないメディアなど存在しない」という前提に立ち、その「クセ」を詳らかにすることで、分断する社会で溢れる情報とつきあう具体的スキルを提示する。 |
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ