放送作家が語る「ビートたけしとたけし軍団の“絆”」
一方、たけしさんは「事件」に巻き込むかたちになってしまった愛弟子に対し、後にこう回想している。
「そん時逮捕されたからね。軍団のやつらが前科持つのは相当なことじゃない? これは覚悟しなきゃいけないなあと思って。こいつら、一生面倒見なきゃいけないし、芸能界これでダメだ、どうすっかなあ、ヤクザにでもなるかとか(笑)」
「それ以降は軍団のやつらの収入とか、すごい考える。結局落ちこぼれが出てくるから、困ったなあと思って。働いてるやつは何人かいるけど、仕事のないやついるじゃない? それをどうにかしなきゃいけねえなって。結局、芸能界は落ちこぼれは出るんだけど、落ちこぼれても生活費ぐらいは大丈夫なようにはしてんの。ま、生活だけでも。まあ、ものすごい申し訳なかったからね。」(共に『異型』)
生活面のみならず、日頃から愛弟子に対する「心配り」を欠かさない人とも言われている。厳しいお笑いの世界では、師匠が仲間と食事や関係者と会食するとき、弟子は同席を許されずお店の外で待機しているのが慣例だが、たけしさんは愛弟子を同席させ、なおかつ同じものを食べるからだ。このたけしさん独特の“流儀”は、実は師匠にあたる深見千三郎さんの影響だという。浅草・フランス座での修業時代、師匠の深見さんに、仲間の裏方スタッフと共にお寿司屋へ連れていってもらった際、師匠の懐具合を気にしたたけしさんが安いタコやイカを注文して師匠に大目玉を食らうシーンが、過去の自叙伝に書かれてある。
「バカ野郎、それがおまえらの勘違いだっていうんだよ。おまえらが俺よりへんなもん食っててみろ、俺がみっともないんだよ。俺はなタケ、いくら弟子を連れて歩いてるからって、ちょっと売り出し中のそのへんの師匠連中みたいに、弟子を外に待たせて自分だけ酒を飲んでたり、弟子にまずい物を食わせて、自分だけウマイ物を食うっていうそんな根性が大っ嫌いなんだよ。そんなのは田舎もんの乞食野郎のすることでよ」(ビートたけし著『浅草キッド』新潮社刊)
お笑いの世界でこの極めて異例なたけしさんの流儀は、芸人ならではの粋で、見栄っ張りで、周りに対して人一倍どころか常に百倍もの気遣いを欠かさなかったという師匠の深見さんから受け継いだものだったのだ。
師匠の深見千三郎さんとは、深見さんの芸を知る演芸関係者やファンが「たけしさんの早口、毒舌、アドリブの妙、そのすべてが師匠譲り」と口を揃えるほど、たけしさんに大きな影響を与え、芸人としての心構えからテクニックまでを伝授。たけしさんに「有名になることでは師匠に勝てたものの、最後まで芸人としては超えられなかった」(『笑芸人』VOL.5「完全保存版 世界の北野より、足立区のたけしが好き!」白夜書房刊)と言わしめた“最後の浅草芸人”である。
1980年代、歌に力を入れていたたけしさんはたけし軍団を従え、精力的にコンサートを行なっていた。そのステージの目玉になっていたのが、たけしさんが師匠の深見さんから芸人の心得のひとつとして学び、情熱を賭けて取り組んでいる“タップダンス”だ。
たけしさんがたけし軍団全員と踊るのだが、タップダンスが苦手なメンバーに対しては、相当厳しい練習を課していたそうである。当時ボクは、日比谷野音や横浜関内ホールなどの客席から、華麗なるステップをただただ憧れの眼差しで見つめているだけだったが、今振り返ってみると、これはたけしさんが師匠の深見さんから学んだ芸人としての芸と精神を、孫弟子へ継承するための儀式の場に立ち会っていたような気がする。
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