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ゴールドバーグ “超人類”の一瞬のレガシー――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第90話>

 WWEは“怪物”ゴールドバーグをWWEのTVショーにフィットするキャラクターに改造しようと試みた。  “マンデーナイト・ロウ”の画面に登場した瞬間、ゴールドバーグというレスラーの商品イメージは自動的に初期モードに変換され、これまでのデータというデータはすべて削除された。  “長編ドラマ”になるはずだったザ・ロックの闘いは、ロックの映画俳優としてのスケジュールの都合であっというまに終わった。  WWEでの最後の試合は、“レッスルマニア20”でのブロック・レスナーとのシングルマッチだった(2004年3月14日=マディソン・スクウェア・ガーデン)。  WWEサイドはそういう公式発表をしていなかったにもかかわらず、観客のほとんどはこの試合がゴールドバーグにとってもレスナー(NFL挑戦のため退団)にとってもWWEでの最後の試合になることをちゃん知っていた。  ニューヨーカーは去りゆくふたりの“怪物”に容赦ないブーイングを浴びせた。ゴールドバーグは、プロレスファンのまえから姿を消した。  “超人類”と呼ばれたスーパースターの一瞬のレガシーは、なにがなんだかわからないうちにはじまり、なにがなんだかわからないまま終わった。ゴールドバーグはプロレスを通過していったのだった。  そして、それから12年後の2016年10月、ビデオゲーム“WWE2K17”にキャラクターとして登場したことがきっかけで――WWEと契約交渉のテーブルにつき――現役復帰を決意。  同年、“サバイバー・シリーズ”でWWE在籍時の最後の対戦相手だったブロック・レスナーと再戦し、1分26秒という試合タイムでこれを一蹴した(2016年11月20日=カナダ・オンタリオ州トロント)。  翌2017年にはPPV“ファストレーン”でケビン・オーエンスを下しWWEユニバーサル王座を獲得(2017年3月5日=ウィスコンシン州ミルウォーキー)。“レッスルマニア33”でB・レスナーに敗れて同王座を明け渡した(2017年4月2日=フロリダ州オーランド)。  2018年4月、WWEホール・オブ・フェームで殿堂入り。WCWでのデビューから21年の歳月をへて、プロレスラーとしてのキャリアをハッピーエンドでしめくくったのだった。 ●PROFILE:ゴールドバーグGoldberg 1966年12月27日、オクラホマ州タルサ出身。本名ウイリアム・スコット・ゴールドバーグ。NFL3チーム在籍後、アトランタの“パワー・プラント”でトレーニングを受け、1997年6月、デビュー。WCW世界ヘビー級王座、WWEロウ版・世界ヘビー級王座(2003年9月21日=ペンシルベニア州ハーシー)を獲得。得意技はジャックハマーとスピア。2004年3月、WWE退団。2016年10月、12年ぶりにWWEに復帰。“サバイバー・シリーズ”でかつてのライバル、ブロック・レスナーを秒殺(2016年11月20日=カナダ・オンタリオ州トロント、エア・カナダ・センター)。ケビン・オーエンスを下しWWEユニバーサル王座を獲得(2017年3月5日=ウィスコンシン州ミルウォーキー、ブラッドリー・センター“ファストレーン”)。“レッスルマニア33”でB・レスナーに敗れ同王座を失った(2017年4月2日=フロリダ州オーランド、キャンピング・ワールド・スタジアム)。2018年、WWEホール・オブ・フェームで殿堂入り。現在、カリフォルニア州ボンソールに在住。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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