発達障害の当事者たちは、その特性からさまざまな場面で困難に直面している。過去2回にわたり
大特集を展開した発達障害。その取材をきっかけに生まれた『
発達障害グレーゾーン』(姫野桂著)も発売即重版となるなど、大きな反響を呼んでいる。第3弾となる今回は「発達障害という診断がされなかった人々」の苦悩を追った。
元グレーゾーンがクロになった今、感じていること
発達障害と診断をされて「クロ」となった当事者たちは「グレーとクロの違い」をどう考えるのか? それぞれ20~40代で発達障害に気づいた山尾亮平さん(仮名・28歳)、森下智司さん(35歳)、三村謙さん(仮名・51歳)の3人に当事者としての率直な意見を求めた。
左から三村さん、山尾さん、森下さん
<発達障害と診断を受けた参加者のプロフィール>
●山尾亮平さん(仮名・28歳)……障害者雇用の会社員。元小学校教員。既婚。教員をしていた25歳のとき、過労がもとで体調を崩し、ADHD(※)の診断を受けることに
●森下智司さん(35歳)……大学卒業後、飲食店等に勤務。34歳でADHDの診断を受ける。今年、フリーランスとして独立し、農業やゲストハウスなどの事業を行う
●三村謙さん(仮名・51歳)……介護サービス事業所に勤務するかたわら、プライベートでは音楽活動を行っている。既婚で48歳のとき、ADHDとLD(※)の診断を受ける
森下:僕は大学卒業後、飲食店で10年以上問題なく働いてきて、店長にもなれました。でも、管理職になってみると、早々に度重なる失敗で信頼を失い、落ち込み、病院に駆け込んだところ、34歳でADHDが発覚しました。
三村:私はバイトを転々としながら、絵を描いてきました。40代で定職に就こうと試みたものの、適応できず、「自分はダメ人間だ」と思いつめた末に精神科に行ったら、発達障害の診断が出ました。
山尾:僕は今、28歳で会社員です。小学校の教員をしていた25歳の頃に診断されて、“クロ”になりました。新卒から常に仕事量の多さにパンク寸前で、事務でミスを連発していました。心身ともに疲れきっていましたが、当時は周囲の目が怖くて休めませんでした。
三村:診断を受けたときの心境はどうでしたか?
山尾:僕は正直、ホッとしました。「自分でもなぜできないのかわからない」という苦しさが軽減されたので。ようやく休むことが許されたような感覚がありましたね。
三村:私も同じです。「ダメ人間だったわけではなく、生まれつきの障害なら仕方ない」と。
森下:僕の場合は、障害だろうと何だろうと逃げる理由になるなら何でもいいかなと思いましたね。会社にはすぐに伝えて、店長を降りさせてもらいました。昔はバリバリの体育会系でしたが、今は仕事への向き合い方を変えました。