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平成賭博遺産 京王閣競輪名物のジャンボスタンドが消えた日

 競輪は公営競技のなかでも狭い敷地で開催できる競技だ。競馬のように広大なコースは必要とせず、1周400m前後のバンクコースが確保できればよい。そのため観戦スタンドも他の競技から比べると規模が小さいのが特徴だ。

2017年5月2日撮影 日本選手権G1初日のジャンボスタンド。多くの選手応援横断幕で埋まっていた

 しかし5階建てでコーナーをぐるっと包む京王閣競輪場東スタンド、通称ジャンボスタンドは壮大なもの。スタンドの裏ではかつてアツくなりすぎて無一文になった者が身を投げたこともあると噂されるほどの高さは、天気がよければ遠く富士山を臨むことまで可能だった。そして3コーナーから4コーナーまで完全にバンクコースを包み込む造りは、レースを完璧に見渡せる絶好の観戦スポットでもあったのだ。

2015年12月30日撮影 バンクコース全体を見下ろして観戦できた

 しかし、そんなジャンボスタンドも昨年11月から解体工事が始まり、現在レースを開催しながらも崩れてゆく姿を晒しながら、令和を迎えたのである。

平成31年(2019年)4月27日、平成最後の京王閣開場節(場外)に撮影。残すは3コーナー付近のみとなり4コーナー付近は完全に取り壊されていた。

初の競輪グランプリ開催で揺れたスタンド

 解体の理由は「客数の変化」と「耐震面」だ。競輪はネット投票の普及などにより入場者が減少傾向であり、大規模な客席が実際の入場者数と見合わない状況が続いている。だが、それ以上に「耐震面」は深刻だった。  かつて競輪の最高峰レースである競輪グランプリは立川競輪場(東京)か平塚競輪場(神奈川)でしか開催されていなかった。しかし、’03年、京王閣が3場目の開催地として競輪グランプリを開催。その後’06、’09、’12、’15年と競輪グランプリを開催するようになった。G1レースも開催されるようになり、大レース開催に向けてジャンボスタンドは必要なものではあった……はずだった。しかし、初のグランプリ開催時、満席となったジャンボスタンドはグラグラと揺れ続けたのである。記者はジャンボスタンドに座るひとりのファンだったのだが、延々と震度2〜3程度の揺れが続く。正直、崩壊を連想させるような怖いレベルであった。  案の定、競輪グランプリを開催したあとスタンドには「耐震補強工事をする」という張り紙がなされた。実際、’04年から工事が行われ、’06年の競輪グランプリではほとんど揺れなかった。しかし、’11年の東日本大震災で耐震面での見直しが迫られることとなる。こうした耐震補強が急務とされる中、’16年の熊本地震では熊本競輪場はスタンドが崩壊し、バンクコースに亀裂が入ったことで現在建て直し計画中だ。結局、京王閣のジャンボスタンドは解体されることになった。

昨年10月撮影 解体工事の数ヶ月前からジャンボスタンドは完全に立入禁止となってしまった

解体工事は昨年11月から開始されている

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