44年ぶりの五輪に向け懸命のリハビリ。女子ハンドボール「おりひめジャパン」池原綾香の「折れない心」
2020東京五輪・パラリンピックまで1年を切った。日本開催の千載一遇のチャンスを掴もうとあまたのアスリートが現在、しのぎを削っている。そのなかで、今、その夢に競技人生を懸ける女子アスリートたちがいる。彼女たちの秘めたる思い、そして現在地を訪ねる、新連載――。
「(じん帯を)切った瞬間に、まず頭に浮かんだのは11月の世界選手権(11月30日~12月15日、熊本)と来年の東京五輪のこと。無理かもと、思ったら涙が止まらなくて……。ただ、最初はそう思ったけど、やっぱり諦めたくはない。じゃないと、何しにデンマークに行ったのかわからないから」
7月中旬、都内某所。女子ハンドボール日本代表「おりひめジャパン」の池原綾香(28歳)はそうこぼしながら、懸命にリハビリに励んでいた。
ハンドボールの強豪国として知られるデンマーク1部リーグのニューコビン・ファルスターでプレーする池原は、今年1月30日、右ひざの前十字じん帯断裂と半月板損傷という大ケガに見舞われた。それから約6か月、術後のリハビリは順調とのことだが、復帰にはもう少し時間がかかるという。
「前十字じん帯(の断裂)だけなら5か月くらいで復帰できる人もいるんですけどね。当初は9月末には試合に復帰したいと思っていましたが、いまの状態だとちょっと厳しいかも。10月中旬になると、(世界選手権に向けては)ホントにギリギリ」
周りからは焦らず、「来年の東京五輪に向けてゆっくり調整すればいい」と声をかけられるというが、彼女にはこんな思いがあるのだ。
「熊本(日本)開催の世界選手権で結果を出して、東京五輪に繋げる。マイナーなハンドボールをメジャーにするためにも、そこに自分がいたい!」
池原が海を渡った理由は、もちろん世界選手権、東京五輪と続く国際大会で結果を出すため。日体大卒業後、ホンダの正規ディーラーであるホンダカーズに勤めながら日本リーグの三重バイオレットアイリスでプレーしていた池原は、’17年夏にハンドボール発祥の地とされるデンマークのニューコビンに移籍。日本では数少ないプロ選手となると、前年にデンマーク王者となっていたクラブで日本人として男女を通じて初めてEHF(ヨーロッパハンドボール連盟)チャンピオンズリーグに出場し、同年のデンマークリーグでは右ウイングとしてリーグのベスト7に選出された。
代表ではリオ五輪予選後にレギュラーに定着すると、’17年のドイツ世界選手権ではシュート成功率81%を超え、チーム最多の26点を挙げる活躍。史上初のベスト8入りこそ逃したものの、日本の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。
デンマーク2年目の昨季こそ、相手チームの研究に苦しんだ面はあったが、池原は熊本での世界選手権から東京五輪に挑むという流れを心待ちにしていた。
ケガは誤算だった。ただ、池原はこれもいいキッカケになればと、気持ちを切り替えている。
「デンマークに行って1年目は相手チームも自分のデータがなく、うまくいっていた部分もありました。でも、2年目は自分でもつまづくだろうという思いがあったけど、それがドハマりしちゃって。きっと今のまま世界選手権や五輪に行っても戦えるとは思えないし、今回のケガは自分を変える意味で試練じゃないけど神様がくれたチャンスだと考えています。それに、ナショナルトレセンでリハビリしていると他競技の選手との新しい出会いもあって、ハンドボール以外の試合を見に行ったりもしました。正直、この歳であれですけど、友達が増えましたし、いまではケガしてよかったと思ってるくらいです(笑)」
<第1回>池原綾香(女子ハンドボール日本代表「おりひめジャパン」)
「マイナーなハンドボールをメジャーにするためにも、そこに自分がいたい」
ハンドボール発祥の地、デンマークへ
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