更新日:2019年10月21日 17:44
エンタメ

漫画家・吾妻ひでおさんが死去。失踪どん底生活を、江口寿史さんと語った日

ギャグを思いつけないと苦しくて苦しくて

江口:僕がデビューしたのが77年で、吾妻さんはすでに活躍されていましたけど、70年代後半ってギャグの競争が一番激しかった時代ですよね。で、ほかに負けないギャグを考えなきゃ!と思うし、自分のギャグにも飽きてくるし。最高のギャグを思いついた!っていう成功体験があると、ドラッグ中毒みたいなもので、あの刺激をもう1回!ってなってしまう。そこまでたどり着けないと苦しくて苦しくて……。そこで酒に逃げちゃう人もいるんでしょうけど、僕は苦しいときは「もう寝る!」っていって寝てましたね。 吾妻:でも、江口さんが落としてくれたおかげで、いまの漫画家はずいぶん休めるようになりました(笑)。 江口:あのころって、週刊連載やりながら月刊も描くとか普通でしたもんね。小林よしのりさんとかはやってたけど、僕は単純に「だってやれないもん!」「できないもん!」って。 吾妻:でもそれは、壊れないで生き延びるための自己管理能力に長けているんだと思います。 ――お互いの作品への思い、印象に残っている作品を教えて下さい。 吾妻:初めて読んだ江口さんの作品は『すすめ!! パイレーツ』(77年連載開始)です。おもしろかったので、悔しくて途中から読むのをやめました。 江口:やめたんですか(笑)。僕はチャンピオンで『ふたりと5人』(72年連載開始)を読んで以降、時系列で読んでます。それまでのギャグ漫画って、暑苦しいっていうか、説明過多っていうか、くすぐってでも笑わせるぞ~って感じだったんだけど、吾妻さんのギャグはすごくクールでしたよね。全然説明がなくて、読者を突き放しているような感じで。 吾妻:アメリカのホームドラマの影響だったんです。ボケても誰もツッコまない。 江口:ツッコミはないけど、会場の笑い声は入っているみたいな。それ以前だとみなもと太郎さんの漫画もそういうところがあったと思うんですが、みなもとさんは絵におかしみがあるじゃないですか。吾妻さんは絵もクールだから、最初は影響を受けるとか、熱心な読者とかいうよりは、こちらもちょっと距離をもって見ていました。『不条理日記』(78年)以降、さらに作品に狂気が加わってきたあたりから熱心に読むようになった気がします。 吾妻:余裕がないときはほかの漫画家の作品は読めないんだけど、少年誌の連載をやめて余裕ができたときに『ストップ!! ひばりくん!』を読みました。チャンピオンではかなり無理をして描いていたから、「いらない」と言われたときは正直ラクになりました。少年誌では内輪ウケや楽屋オチが嫌がられて、描かせてもらえなかったり。江口さんはそういうことはなかったんですか?
江口寿史×吾妻ひでお

「『白いワニ』は吾妻さんの影響で生まれたんです」(江口)

江口:僕の場合はとにかくもう遅すぎるから、編集が口出す間をあたえない(笑)。 吾妻:作者自身が出てくるのってイヤがられませんでしたか? 江口:いや、もう「なんでもいいからとにかく描いてりゃいい!」って感じで(笑)。原稿が描けないときに出てくる「白いワニ」も、実は吾妻さんの影響なんですよ。漫画のコマをヘビがよこぎっていくのがすごくおもしろくて、コマをつぶすのにすごくいいな!と思ってワニを描いたんです。ギャグの歴史って、イコール手抜きの歴史なんですよね。
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