「悪そうな奴は大体友達」のその先の向こう側
――担当刑事とリスペクトを持って向き合ったとは?
D.O:逮捕後、僕のガラが運ばれた立川署というのはかなり特殊なところで、東京23区以外のほとんどの地域から悪党が集まっていた。週に何度も非常ベルが鳴って、やれ誰が暴れてるだの、やれ懲罰だの“立川劇場”って呼ぶくらい騒がしかった。そんな中、ある日の取り調べで「お前あれだな、思ったよりちゃんとしてるな」と言われた。本職よりある種、胆力があると。
――立川はぐれ刑事純情派!?
D.O:別に被害者がいるわけでもなく自己責任でこうなって、僕は自分のこと以外、何も言うことはない。ヒップホップの恩恵を受け、ヒップホップの世界でサバイブしてきた。裁くなら裁いてくれ、その腹はくくっているとなれば、向こうも「ドンマイ」ってなる。生意気で言うこと聞かないし、僕らみたいなのは普通、嫌われるんですけど「お互い筋を通して話そう」という姿勢が伝わると、「信用できる奴」になる。
――仁義ある人間には敬意を持って接する、と。
D.O:もちろん相手もうまいな、というのはあります。ただ立場が違っても、お互いリスペクトできる人はいる。先駆者から引き継いだシーンを、自分たちの世代でどう形にするか? ヒップホップのゲームはそれが面白いし、そうあるべき。でも、最近はそこに仁義というか、言わなくても共有できていたストリートのルールや、価値観がなくなりつつあるのも感じる。僕も、劇的にそれを食らった。
ただ、それはヒップホップに限らず政治やビジネスでもよくあるハナシ。むしろ社会がそうなっているから、アートに反映される側面もある。日本に限らず、世界中でスニッチ(密告)や司法取引はダサいことだけど、残念ながらそれをした方が儲かるのも現実だったりする。
――アメリカの格差社会から生まれたヒップホップが、日本でもリアルなことになってきていると感じますか?
D.O:それもあって僕は恵まれている、と言ったら、こんなタイミングで頭がおかしいように聞こえるだろうけど、本当に思っています。この一連の流れを受け入れてもらえるシーンを自分で作ってきたつもりだし、そのシーンを見つけてきた。ゲトーな環境から「お前には無理だ」と言われながら、這い上がってきた経験があるから、どんなことがあっても、またプラスに変えられると思える。
人呼んで「立川のサンシャイン」。房内で絶大な人気を誇った。
留置所で驚いたのは、半分以上の人間が僕のことをラッパーとして認識していた。それもあって「僕のことは、立川のサンシャインと呼べ」と(笑)。「我々にはこんなところでも楽しいことを探すしかない。おもしろい話教えてあげるから、やたら落ち込むの良さない?」って。
ラッパーである以上、ステージだろうがどこだろうが、これまでと変わらずパワーをバラ撒いて、実物のラッパーって、こんなにヤベェ奴なんだと分からせたい。ラップじゃなくても、僕を見て、それこそいい映画を見たような、そういう気持ちになってもらえたら、そうじゃないって人がいるのも理解した上ですけど、それが僕のアート、ヒップホップなワケで。
――どこにいても、ラッパーD.Oであり続けている。
D.O:あと面白かったのが、数回目の取り調べ中に「さっきお前より刺青がすごい奴が入ってきたけど、知り合いか?」と聞かれた。「いやいや、僕よりカブいている奴なんていないでしょ」って思って房に帰ったら、確かに頭のてっぺんから全身気合いの入った奴がいた。みんな警戒していて「ヤバくない?あいつ。D.Oさん、知り合いじゃないんですか?」って。
実際、僕ですら『どうやってこいつ日本でこうなった? 向こうのギャングか?』と思ったくらい。でも、ある時そいつが檻にいれられていて、前を通ったらなんか声が聞こえるんです。正直、目を合わせたくなかったけど「Hey!」って、いきなり“練マのハンドサイン”(※通称「N-(TOWN)サイン」上記写真参照)を出してきた(笑)。向こうは僕のことを知っていて「応援しています!」みたいな。それを見ていたみんなも「えー! 知り合いじゃないって言ってたじゃないですか!」って。結局、運動の時間に喋ってみたら、つながっていた。「悪そうな奴は大体友達」じゃないけど、先輩たちの世界のその先の向こう側に僕らはいたってハナシ。
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『悪党の詩』
ストリートと暴力と音楽とメイクマネー、すべてひっくるめてこれが自分だと笑い飛ばす、究極のラッパーの自伝
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