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<純烈物語>白川裕二郎の動機はいつでも母親「純烈は自分の人生で唯一の博打」<第17回>

千代の富士に憧れて好きだった相撲の世界に入門

「僕は母が43歳の時の子なんですけど、高齢出産だったことからおろそうと思ったらしいんです。それで激しい運動をして流そうとしたんだけど、流れなかったから産んだんだっていう話をよく聞かされました」  この時のことに科(とが)を感じていたのだろうか、母の愛情は深かった。そして、相撲界に入門するのも俳優に転身したのも、純烈を始めたのもその存在が自分を突き動かす動機となった。  通っていた柔道の町道場が接骨院とつながっており、そこへ診てもらいに来た朝日山部屋先々代親方のおかみさんが、稽古に励む白川を目撃し「あの大きい子、相撲やらないかしら」と興味を持った。じつは力士になりたかったと気持ちを伝えたところ、3日後には当時の親方が自宅まで訪れスカウトされる。  好きだった相撲の世界に息子が入ったことで、母は喜んでくれた。入門から1か月後には一番出世で初土俵を踏み、5場所目(序二段)でしこ名を本名から綱ノ富士に改める。地元・横浜市港北区綱島から一文字を取り、家族揃って大好きだった横綱・千代の富士のようになりたくて“富士”を拝借した。  じっさい、白川は182cm、105kgの筋肉質な体格を誇り、あこがれの千代の富士をほうふつとさせる姿をしていた。相撲のスタイルも横綱にインスパイアされ、まわしを取ったら強引に投げを打つ。150kgの相手を持ち上げ、叩きつけたこともあった。  出世すればカッコいい体に甘い端正なマスクから、それこそ千代の富士の再来として人気が出たはず。ところが、ケガがもとで横綱への夢はあっけなく潰えてしまう。生涯戦績は7場所(前相撲を含む)16勝12敗14休……わずか1年という現役生活だった。 「僕が相撲をやめた時、母が泣いたんです。九州出身だからか気が強くて、いつも怒られていたイメージしかなかったのに、哀しい顔をしながら涙を落としていた。二度とこんな顔は見たくないし、させてはならないと思いました」  63歳になった母を泣かせてしまった罪悪感。とはいえずっと抱いていた夢が目の前から消えてしまっては、何をしたらいいのかわからない。アルバイトを転々とする中、息子にやり甲斐を与えたいとの一心で母が劇団俳優座に入ることを勧めた。  その研修生となり「東映に拾ってもらった」形で『忍風戦隊ハリケンジャー』に抜てきされ、俳優としてデビュー。続く『天罰屋くれない 闇の始末帖』で共演した古谷一行には同じ俳優座出身ということでよくしてもらうようになり、その流れで舞台にも出演する。 「ハリケンジャーが終わったあと『みにくいアヒルの子-HONK』というミュージカルに主演で出ることになって、先生についてレッスンを重ねるうちに面白いなと思って、ゆくゆくは舞台でやっていけて、その中にCMや映画も入ってきたらある程度知名度もついてやっていけるなという設計図を描いていました。でも、役者を続けるうちにその時の環境が嫌になっていったんです。  役者って、終わったら何もないみたいなところがある。たとえば一年のうち3か月は舞台にかかりっきりになって、その後は何も入りませんということがけっこうあったんです。でも事務所に所属しているから、給料はもらえる。仕事をしないでずっと家にいたり、時間があったら旅行へいったり……そういう生活でいいんだろうかと思うようになっていったんです」  家にいると母は「大丈夫? ちゃんと食べていけるの?」と心配を口にする。食えていることは食えているのだが、それに甘んじている自分が許せなかった。  美意識がそうさせたんでしょうねと、こちらが軽口を叩くと白川は「いや、もっと現実的なことでそんなきれいなものではなかったんです」と言った。つまり、契約期間中は仕事のあるなしにかかわら固定給が出ても、切れたらそのあとはどうなるかなんの保証もない。それがとてつもない恐怖となり、のしかかったのだ。  母は「あんた、いつテレビに出るの?」と聞いてくる。自分の成功を楽しみとしているのに、それに応える術をつかめない。酒井から声がかかったのは、そんなタイミングだった。
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「宝くじじゃないけど、この人に賭けたら当たるんじゃないか」
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