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<純烈物語>白川裕二郎の動機はいつでも母親「純烈は自分の人生で唯一の博打」<第17回>

「宝くじじゃないけど、この人に賭けたら当たるんじゃないか」

「僕は本来、安パイを取るタイプでレールがあったらそこからはみ出るのが怖いんです。でもその時は燻っていたし、ここで行動を起こさなかったら失敗、後悔するんじゃないかという思いがあった。だから、純烈は僕にとって人生で唯一の博打だったんです。  役者仲間として見ていて、酒井一圭という人間のリーダーシップ、統率力は面白いというのがあって、自分が持っていない発想をたくさん持っていた。宝くじじゃないけど、この人に賭けたら当たるんじゃないかと。だって、誘った時点で『デビューすることもレコード会社も決まっていて、すでにテレビ出演も3本決まっているんだよ。つきましては、紅白歌合戦も3年以内に決まるんで』って言っていましたからね、ハハハ」  胡散臭いと思わなかったのかと聞くと、それをすこぶる真剣な眼差しで熱く語っていたそうな。その目に乗せられた人間が、5人いたことになる。  リーダー脳内編集の純烈史によると、京都のカラオケで白川が米米クラブやTUBEを歌っていたところ「その声はムード歌謡の方が向いているよ」と言ったというのが史実とされているが、本人いわく「歌ったのは米米クラブさんと中村雅俊さんで僕、TUBEは歌えません」。また金に困って酒井に電話したことも、ビタ一文ないらしい。 「個人的な会話だったら『そういうことがあったよな?』『いや、なかったよ』で済むのに、ああいった人が読むところで言ったのを見て変わってないなあと思いました。逆にリーダーがメンバーを集めるのに困って電話をかけてきたのが純烈なんじゃないの?と思うんですけど。  これは本人に言わず、同じ場で言おうと思っていたことなのでここは使ってください。僕の逆襲ですよ。でも、リーダーに言わせれば『白川がここでそう言ってくるところも俺は折り込み済みや』ってほくそ笑むんでしょうけどね」  話を聞いているうちに、舞台上で繰り広げられるMCのやりとりを、時間差で聞いている感覚に見舞われてきた。もちろんこの時、室内に酒井の姿はない。にもかかわらず、白川のすぐ隣にいるような質感を覚えた。 撮影/ヤナガワゴーッ!(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』が発売

白と黒とハッピー~純烈物語

純烈が成功した戦略と理由がここに
「夢は紅白!親孝行!」を掲げ、長い下積み時代を送ってきた純烈がいかに芸能界にしがみつき、闘ってきたのかを、リーダー酒井のプロレス活動時代から親交のあるライター鈴木健.txtが綴ったノンフィクション


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