更新日:2023年05月13日 09:50
スポーツ

プロ野球選手の年俸事情、セ・リーグ6球団の億超えの歴史を振り返る

広島東洋カープ 赤ヘル軍団の歴史は球団史に残る右の大エースから 北別府学(1992年オフ)

北別府学オフィシャルブログ

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 前年の’91年に11勝を挙げ、同時に最高勝率のタイトルを獲得、チームのリーグ制覇に貢献した北別府はこの年に球団史上初の200勝を達成。最終的に14勝8敗の好成績でオフに前年の年俸8300万円から1億300万円で契約更改している。’76年にプロ入りし、引退までに213勝しているが、なんと広島オンリーの在籍で通算200勝を達成した投手は現時点でこの北別府だけである。

横浜DeNAベイスターズ なんと金額交渉は一切なかった……とか 駒田徳広(1993年オフ)

駒田徳広オフィシャルブログ

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 駒田は読売在籍時の’92年オフの契約更改ですでに年俸1億円を突破していた。だが、翌’93年はケガの影響もあり、成績は低迷。さらに一部コーチとの確執が表面化し、トレード話が持ち上がった。  さらにこの年のオフから導入されたFA制度によって、同じ一塁を守る中日・落合博満のFAでの読売入りが濃厚となり、駒田もFAを宣言。5球団以上から獲得の打診が寄せられたが、最終的には本人が在京球団志望だったこと、かつて読売のヘッドコーチだった近藤昭仁が監督を務めていたこともあり、横浜(現・横浜DeNA)への移籍となった。  そして肝心の年俸だが、実はこんな逸話が。駒田自身,交渉過程のなかで一度も金額の話をしたことがなく、入団発表前日に近藤監督から電話が来て「大事なことを聞くのを忘れていた。年俸だけど、現状維持でいいよな?」。駒田の前年の年俸は1億2000万円。こうして球団史上初の年俸1億円突破選手が誕生したのである。

阪神タイガース FA制度初年度に誕生した1億円プレーヤー 石嶺和彦(1993年オフ)

 関西きっての名門球団に1億円プレーヤーが誕生したのはFA制度が導入された’93年オフ。当時、オリックスの主軸として活躍していた石嶺が4球団の争奪戦のすえ、地元ということもあり、阪神入り。  この年、打撃主要3部門の成績がすべて前年を上回る好成績を挙げており(打率2割7分3厘、24本塁打、77打点)、前年の年俸6800万円から一気に約4000万円アップの1億650万円で契約。FA制度の恩恵にあやかった典型であった。 ――改めてみるとプロ野球選手の年俸が跳ね上がった大きな要因は’93年オフに導入されたFA制度の影響だといえる。それだけにFA実施の実に7年も前に1億円フレーヤーになっていた落合の凄さが分かろうというものだ。<取材・文/上杉純也>
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