更新日:2021年11月24日 07:10
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鶯谷ラブホ街の荒廃ぶりに涙。コロナの影響をモロに食らい…/古谷経衡

コロナ禍で人通りが消えた鶯谷ラブホ街中心部―4月下旬某日

第19回/緊急事態宣言下のラブホ 後編

 いわゆる東京都下五大ラブホ街(新宿歌舞伎町、渋谷円山町、五反田、鶯谷、池袋東)の中でも、鶯谷のラブホ街は特殊な位置づけで知られる。歌舞伎町、円山町、五反田、池袋は繁華街を起点として、人々の動線にしたがってその奥(繁華街の奥方向)にラブホ街が形成されている(―むろん、その形成過程は千差万別であるが)のに対し、鶯谷には目だった繁華街はない。  むろん、私が行きつけの大衆居酒屋「信濃路」の存在は鶯谷にあって避けて通れない不夜城のごときキラメキを放ってはいるが、総攬するに鶯谷は五大ラブホ街にあって唯一、繁華街に直接隣接していない、いわゆる「ラブホ街、陸の孤島」である。よって鶯谷のラブホは、JR鶯谷駅から徒歩0分を売りにし、電車からでも一目瞭然の駅至便広告を最大の売りにしているのである。  独りラブホ暦数十年のプロの私から言わせれば、この界隈の格言に、 「起きて円山、寝て新宿、それがダメなら鶯谷」  という言葉がある。これはどういう意味か。それはまず独りラブホで宿泊して起床するならコスパの断然良い渋谷円山町を目指す。そこが満室でダメならタクシーに乗って新宿歌舞伎町でつかのま惰眠を貪る。それでも満室なら、一番東の鶯谷を目指せ(絶対に泊まれる)、という意味である。  つまり鶯谷は都下五大ラブホ街の中で最も辺境の東京東部にあるから、土日祝前日でも確実に泊まれるという、独りラブホ界隈から湧き出た通念なのであるが、これを裏返せば最も集客に窮するのは五大ラブホの中で鶯谷という事になる。

コロナの打撃をモロに食らって…

 コロナ禍において、定点観測した中で私が最も悲惨と感じたのは何を隠そうこの鶯谷であった。緊急事態宣言中、ただでさえ人通りが少ないのは自明だが、すでに述べたように鶯谷は繁華街に隣接していないので、自粛期間中もっとも人通りが少なくなった。4月下旬の週末、鶯谷を威力偵察した私が目にしたのはもぬけの殻となった鶯谷のラブホ街である。すわ落涙の思いであった。  私はいつも、鶯谷で独りラブホを貫徹する際には、前述「信濃路」でモツ・塩魚等をつまみにチューハイを5,6杯ひっかけた後、徒歩5分ぐらいの定宿ラブホに昼まで寝るのが常である。平時、鶯谷の徒歩0分の物件は満室で泊まることができないからであり(―もっとも、独りラブホのプロの私からすれば臨時出費を覚悟すれば宿泊は容易ではある。この手法は別項で述べる)、また設備・サービスの面でもあえて少し歩いたところにあるラブホに明らかに劣後するからだ。

コロナ禍で臨時休業を宣言するラブホ―鶯谷

 だがコロナ禍で、駅から徒歩0分のラブホにすら閑古鳥が鳴き、「臨時休業」の物件が乱舞する。全体的には緊急事態宣言中、鶯谷で最低10%から最大18%くらいのラブホが臨時休業になっていたように思う。当然これは異常事態である。嗚呼、世も末か・・・。マッドマックスの無人の荒野の世界に来たような思いで、万感胸に迫るものがあった。  ここでも、鋭意営業しているラブホでは歌舞伎町同様、原則室料の値下げは行わず、チェックアウト延長やリネン段階での消毒徹底が謳われているが、そもそも歌舞伎町と違って鶯谷は元来立地的に訴求力が弱く、チェックアウトが平時で午後0時、1時になっているパターンが多い。ここからのさらなる集客訴求はいささか難しく、都下五大ラブホ街でもっともコロナで打撃を受けたのは鶯谷であろうことは間違いはない。  当然この状態は、緊急事態宣言が解除された五月下旬、いわんや六月に至っては平時の状況を取り戻しつつある。だが元来繁華街近接ではない、という鶯谷の致命的弱点が災いしてか、歌舞伎町のような速やかな「復旧」というのはやや程遠い感が否めない。
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山手線の車窓から…
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(ふるやつねひら)1982年生まれ。作家/評論家/令和政治社会問題研究所所長。日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。20代後半からネトウヨ陣営の気鋭の論客として執筆活動を展開したが、やがて保守論壇のムラ体質や年功序列に愛想を尽かし、現在は距離を置いている。『愛国商売』(小学館)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか』(晶文社)など、著書多数

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