更新日:2021年09月23日 16:36
エンタメ

電車の中で女子高生と二人っきり…おっさんが取るべき行動は

20メートル離れた女子高生を起こすためには……

 僕と女子高生は20メートルほど離れて座っている。ここから1ミリも近づくことなく、それでいて直接的ではない方法で彼女を起こさなくてはならない。  最初に思いついたのが、声を出す、という方法だ。それとなく、遠回しな独り言のような言葉を出し、彼女に起きてもらおうという作戦だ。  「おっ、もう泉佐野か」  このセリフは我ながら適切だ。音声で起こすのと同時に、もう乗換駅である泉佐野だよと伝える効果がある。  「おっ、もう泉佐野か」  実際に声に出してみたが、照れがあるためかなり小さな声だった。すぐに列車が奏でる機械音にかき消されてしまった。さすがに自分以外に一人しかおらず、その一人も眠っている状態で完全無欠の独り言を口にすることはかなり勇気がいる。  僕はこうやって大きな声を出さなくてはならないのに出せない状況では、自動車教習所で習った救護訓練を思い出すようにしている。道路に横たわっているケガ人に駆け寄り、声をかける際は、少しずつ声を大きくしていくと鬼教官に習ったのだ。  「大丈夫ですか?」  「大丈夫ですかー?(大きな声)」  「大丈夫ですかー!!(絶叫)」  何事も応用である。これを泉佐野に応用すればいいのである。つまりこういうことだ。  「おっ、もう泉佐野か」  「おっ、もう泉佐野かー(大きな声)」  「おっ、もう泉佐野かー!!(絶叫)」

ここで女子高生とセッションになる可能性も考えたが

 完全にあたまおかしい人だ。ダメだダメだ。これじゃあ例え起きたとしてもめちゃくちゃ怖いだろ。同じ車両にいるおっさんが、徐々にトーンが上がる独り言を三連発。最後は絶叫。僕だったら泣いちゃうね。  歌うというのはどうだろうか。何かの動画で地下鉄の車内で突如としてプロの歌手が歌いだして、次第に手拍子とか生まれてきて、最終的にはセッションみたいになってハッピーな感じになったのを見たことがある。黒人のおばさんとかノリノリで踊っていた。あれだ。  つまり、ここで僕が歌いだせば、女子高生が起きてきてセッションみたいになる可能性がある!  ない!  あるわけないだろ。一瞬でも「ありえるかも」と思った自分が恥ずかしい。  僕が突然に歌いだして「猫になったんだよな君は」とか歌い上げても、誰も猫になっていないし、そもそも歌う意味が分からないし、誰の心にも響かない。なんだよ猫って。セッションにもならない。黒人のおばさんもここにはいない。なにより不自然すぎて怖い。知らないおっさんが突如として「猫になったんだね」とか歌い始めたら怖い。猫って部分が特に怖い。僕だったら泣いちゃうね。
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やはりおっさんは何もしないほうが良いのだ
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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