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「ケンダマンの気持ち考えたことあるのか」完璧超人を巡る老婆と少年のナゾ問答

こんな理不尽なことがあって良いのか

 僕はこんなにも理不尽なことってあるだろうかと憤った。僕の知らなかった隣の学区で、こんなにも理不尽なことが横行しているのかと、なんだか許せない気持ちになったのだ。  遠い国、遠い時代に戦争があった。社会の授業でそれを知った小学生の僕は悲しい気持ちになった。戦争が悲しかったのはもちろんだけど、それを知らなかった自分がなんとも愚かだと思ったからだ。  そして、隣の学区でケンダマンの気持ちを考えなかっただけで出禁になったやつがいる。そんな理不尽なことが横行している。それを知らなかった自分をなんて愚かなんだろうと思った。  「彼はちゃんとケンダマンの気持ちを考えています!」  いてもたってもいられなかった僕は、チャーハンを連れて入店し、バアさんに抗議した。僕もアホだったので、いま考えると抗議の内容もまあまあおかしい。ケンダマンの気持ちを考えることはどちらかというとあまり関係ない。理不尽な対応に抗議するべきだったのだ。  この学区においては、このバアさんに逆らうことは死を意味する。皆の社交場であるバアさんの店に出入りできなくなるからだ。パリシャツも、バアさんに抗議するなんてこいつアホかよ、知らないことって怖いことだ、みたいな顔をしていたが、僕は隣の学区なので、別に出禁になってもよかった。

もう、全員の主張がおかしかった

 「もういいよ、おれやっぱりケンダマンの気持ちわかんないし。考えたことないし、ケンダマンどうでもいいし。ぜんぶ俺が悪いんだよ」  チャーハンが後ろから申し訳なさそうに僕を諫める。チャーハンも罪の意識が大きくなりすぎていて言っていることがまあまあおかしい。  「ケンダマンの気持ちを考える人なんて世界には一人もいません! チャーハンはおかしくありません!」  興奮しすぎた僕の主張もまあまあおかしい。  バアさんはさすがこの学区で女王として君臨しているだけあって、威圧感のある鋭く冷たい眼光で僕を睨みつけていた。  「友達のためにそこまでできる思いやりはいいけどねえ、ケンダマンの気持ちを考えられない部分はよくないね。ろくな大人にならないよ」  ババアの反論も微妙におかしい。なんでそこまでケンダマンの気持ちを重視するんだ。もしかしてこの駄菓子屋は、世界で一番、ケンダマンの気持ちが論じられた空間なのかもしれない。  結局、僕も罪人をかばったという理由でしっかりと出禁を言い渡されてしまった。その後、どうせ覚えていないだろうと何度かシレッとバアさんの店に行ってみたけど、バアさんはしっかりと覚えているみたいで「あんたは入店禁止だよ」と咎められた。バアさんの執念は凄まじい。
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今にしてわかった? 出禁にする側の気持ち
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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