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「ケンダマンの気持ち考えたことあるのか」完璧超人を巡る老婆と少年のナゾ問答

今にしてわかった? 出禁にする側の気持ち

 「それでさ、やっぱ理不尽だと思うわけよ、赤い服を着てきたら出禁っておかしいだろ」  目の前で憤る友人。厳しい居酒屋の話がまだ続いていた。その言葉についつい昔のことを思い出してしまった。  「でもさあ、世の中にはケンダマンの気持ちを考えなかったという理由で出禁になったやつもいるんだぜ。それに比べたらかわいいもんじゃない?」  僕の言葉に友人は首を傾げた。  「そう、ケンダマンの気持ち……。ただ、いま考えるとあまり理不尽じゃないんだよな」  差別的なものはもちろん論外なのだけれども、店を運営するうえである程度のルールを制定し、それに従わない人間の入店を断ることは運営上、経営上、大切なことだ。重要なのはそのルールの必然性を丁寧に説明することなのだろうと思う。  バアさんは、あのような駄菓子屋を営んで、地域の子供を育てているという意識があったのだと思う。たとえお目当てでないケンダマンであっても、そのケンダマンをないがしろにしてはいけない。そんな風に育ってほしくない、そんな気持ちがあったのじゃないだろうか。  少なくともバアさんは生半可な気持ちで出禁を言い渡してはいなかった。

「私に反抗したから出禁」

 実は、それから何年もして、高校生になったときに、さすがに覚えていないだろうとそのバアさんの店に行ったことがある。相変わらずバアさんの店は健在で、そこには小学生たちが集まっていた。バアさんも、経過した年数ぶんだけしっかりバアさんに近づいていた。  何食わぬ顔で入店すると、しっかりと言われてしまった。  「あんたは入店禁止だよ」  「覚えててくれたんですか?」  「全員じゃないけどね、わたしに反抗した子どもは覚えているよ。ずっとね」  バアさんはしてやったりという表情で笑った。  「そうですか」  それはなんだか悪い気のしない出禁宣告だった。  結局、気持ちを考えることなのだろうと思う。理不尽な居酒屋も、そんな処分を下す理由を丁寧に説明する必要があるかもしれないし、客側も納得がいくまで話し合えばいい。それができないのならば、その店にはもう行かなければいい。 「話を聞くとさ、それはやはり店側と客側が気持ちが離れているよね。ケンダマンってさ、けん玉をモチーフにした超人だから、顔にあたる鉄球と左手が鎖で繋がっているんよ。話を聞いていると、その居酒屋ではその鎖が引きちぎれている状態だね。顔と胴体が離れてしまっている」  自分的にはめちゃくちゃ綺麗に決まったと思ったのだけど、友人は「なぜケンダマン?」という表情をしていた。  「ケンダマンの気持ち、いまやっとわかった気がするなあ」  ニヤニヤ笑う僕に、友人は本当に困惑した表情を見せていた。 ロゴ/ヒールちゃん(@heelhell) イラスト/井上菜摘(@natsumi19900325
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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