変わりゆくナイトプールの未来。ホテルニューオータニの仕掛け人に聞く
近年、インスタ映えを狙う若い女性を中心に人気を博した「ナイトプール」。ライトアップされた幻想的な空間や、DJが選曲するおしゃれな音楽、女子ウケ抜群なフォトスポット……。ナイトプールは、まさに“大人の夜遊び”として定着していた。だが、昨年から続くコロナ禍。いま、どうなっているのか?
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“元祖ナイトプール”といえば、ホテルニューオータニである。今回は、ブームの火付け役と言われ、ホテルニューオータニのナイトプールを長年にわたって企画、プロデュースをしている株式会社クリエイティブプロジェクト代表の畠山 浩行さんに、ナイトプールの変遷や、コロナ禍での今後について聞いた。
畠山さんはニューヨークでの留学経験があり、現地でアートマガジンの編集に携わっていたそうだ。
そこでさまざまなカルチャーに造詣を深めるようになり、いつしか「自分の見たい世界を創造する」ようなクリエイティブに憧れを抱くようになった。
留学中はアメリカを巡る旅にも出かけ、日本とは違う空気感に触れるなかで目に留まったのが「まるで“オアシス”のようなプールの存在」だと畠山さんは顧みる。
「アメリカを車で横断している際に気づいたのは、ロードサイドにあるモーテルの中にポツンとプールがあることでした。特に印象深かったのが、LAのパームスプリングスという街にあるモーテルのプール。高級ホテルとは違うリーズナブルなモーテルでさえも、パームツリーが生い茂り、自然に囲まれながらリラックスできる空間が広がっていたんです。
ここでしか味わえない非日常感や独特のクールさに、すっかりやられましたね(笑)。この雰囲気を東京に持ってきて、プールを軸にブランディングできないかと考えたのがナイトプールを企画した原体験になっています」
バブルが終わり、まもなく21世紀を迎えようとする1990年後半、畠山さんは「海外に向けて、もっと東京を魅力的な場所としてアピールしたい」という想いを抱くようになった。
海外のカルチャーを日本へどう持ってくるかと考えたとき、アメリカ横断時に出会ったプールに着目したというわけだ。
そして、1999年に日本初となるナイトプールをホテルニューオータニで企画、プロデュースすることになる。
「当時のナイトプールはあくまで宿泊者向けだったので、今のような大勢の人出があるわけではありませんでした。ナイトプールで今でも当時から意識していたのは『素敵な音楽と、リラックスできる雰囲気を演出する』ことでした。そして、夏の風物詩といわれるまでになったナイトプールのレセプションパーティを手がけ感度の高い人が集まるようになりました。
おかげで口コミで徐々に広まっていき、芸能人やプロ野球選手もお忍びで遊びに来るようになったんです。ホテルの宿泊費用が高いというのもありますが、“都会にある秘密のオアシス”のようなイメージで御用達いただけていたと考えています」
ひとつの転機になったのは2004年に一般開放された時だったという。
これまで一部の人だけが楽しむものだったナイトプールが、宿泊者以外の客でも利用できるようになり、次第に裾野が広がっていった。
また、一般客のみならず企業が行うレセプションでもロケーションとして選ばれるようになったそうだ。
「ファッションやコスメ、お酒などの外資系企業が、ナイトプールを会場にしたプロモーションイベントを開催する機会が増えました。この頃はSNSがなくブログ全盛の時代で、業界人やブロガーなどを中心にナイトプールの魅力を発信してくれたんですね。こうして一般層にもナイトプールという存在が知れ渡るようになったんです」
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アメリカ西海岸のプールに衝撃を受ける
昔のナイトプールは芸能人がお忍びで遊ぶ場所だった
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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