更新日:2021年11月11日 13:41
エンタメ

俺の餃子はどこに消えた!怒るタイミングを逃し続けた僕にラーメン店員は…

すごい剣幕で叱られている店員に気を使ってしまい……

おっさんは二度死ぬ どうなってんだこりゃ。すっかりとスープも飲み干してしまい、ドンブリに描かれた柄をフルで見ることができる状態だ。これはもう完全に怒るタイミングだろう。もうラーメンは完全に食べつくしてしまった。これから餃子が運ばれてきて食べたとしても、それはラーメンを食べた後に餃子を食べただけであって、ラーメン餃子セットを食べたわけではない。そこには無限の隔たりがある。  いよいよ怒ってやる。あの威勢よくちょろちょろしていた店員だ。きっとあいつが餃子のこと忘れていたんだろう。さあ、怒ってやるぞ、と姿を探すが見当たらない。どこだどこだ餃子忘れ小僧はどこいったと姿を探すと、厨房の入り口当たりの場所にその姿があった。なんか店長っぽい人にめちゃくちゃ怒られている。 「お前な、いったろ、今日こそ住民票もってこいって」 「いや、持ってこようと思ったんですけど忘れて」 「思うだけじゃダメなの。持ってこなきゃ意味ないの」  みたいにけっこうな剣幕で怒られている。ものすごい大罪を犯した重罪人みたいに怒られている。  もしかしたら彼は忘れっぽいのかもしれない。住民票も忘れ、僕の餃子も忘れ、他にもいろいろと忘れているのかもしれない。そして、店長にしっぽり怒られた直後に「餃子、こないんだけど」と僕にクレームを入れられたら彼の心がポッキリ折れてしまうかもしれない。この仕事、向いてないと悲観的になるかもしれない。さすがにそれはあんまりにかわいそうだ。  なんてことだろうか。先に住民票のことを怒られたことによって、こちらの餃子が完全に空気になってしまったのだ。  怒るのって本当にタイミングが難しいなあ。また隣のサラリーマンに共感する。  

ようやく餃子が運ばれてきたと思いきや……

 怒りとは本来は感情をコントロールできない状態で行われるものだ。つまり、多くの場合でタイミングもクソもない。腹が立ったから怒る。つまり、タイミングに悩む怒りとは、決して感情がコントロールできないのではなく、怒らなくてはならないという使命感を持って怒っているということなのだ。少なくともそれが必要な怒りだと認識しているということだ。そこにコントロール不能の感情は存在しない。  怒るタイミングに悩む隣のサラリーマンも使命感を持って怒らなければと悩んでいる。僕も、餃子が来ない怒りというよりは、ラーメン餃子セットを蔑ろにする風潮ができてはいけないと使命感を持って怒るタイミングに悩んでいた。  タイミングに悩む人はきっと怒りたくないのだ。それでも怒らなければならないと強く感じる責任感がそこにあるのだ。そこにあるのは優しさと指名じゃないだろうか。  それから5分して、もう餃子こないし帰るかと身支度を始めると、本当に忘れていたみたいで厳かに餃子が運ばれてきた。 「これを今から食えと?」  と怒ろうと思ったけどグッと我慢した。今はそのタイミングではない。なんとか食べようと備え付けの醤油や酢を混ぜてタレを作り、食べる。  やはりこれだけタイムラグがあるとラーメン餃子セットではない。ラーメンを食べた後に餃子を食べただけだ。むしゃむしゃと食べているとタレに大量に投入したラー油が器官の変なところこに入り込んでしまったらしく、めちゃくちゃむせてしまった。僕、このまま死ぬの? といったレベルでむせた。  すると、あの威勢のいい店員が、住民票を忘れ、餃子まで忘れていた店員がすっ飛んできた。 「こういったご時世ですので咳はご遠慮願えますかね!」  めちゃくちゃ怒られた。とにかく怒られた。タイミングになどまったく悩んでいない様子で怒られたのだった。怒るタイミングを逃しまくり、逆に怒られる。つくづく怒りとは難しく悩ましいものなのだ。 ロゴ/ヒールちゃん(@heelhell
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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