弱きものを嫌悪し続けた男、石原慎太郎逝去
芥川賞作家で元東京都知事の石原慎太郎氏が2月1日に東京都内の自宅で亡くなった。89歳。岸田首相が「政治の世界における偉大な先達が、またお一人お亡くなりになられたことは寂しい限りだ」と述べたほか、各界から哀悼の声が上がっている。
大型スクリーンの映画館やミニシアターなどが次々と廃業していた時期に、どこかの記者が、苦境に立つ映画館を救済する施策を考えないのか、と定例記者会見の場で当時の都知事に問うた。知事は、今は便利なレンタルでいくらでも映画が観られるんだからいいじゃないか的なことを言って、救ってやる義理はないという態度を示した。
質問した記者は当然、かつて自らの脚本で弟を銀幕の大スターに押し上げた知事の映画愛を意識していたのだろうが、少なくとも映画館愛は特にない様子の、妙にあっさりした返答に、会見場はふわっと苦笑した。
「日経新聞記者はAV女優だった!」という週刊文春の取材記事によると当時記者クラブ内でキャバ嬢と呼ばれていたらしい私は、大型シネコンやレンタルDVDに押されていた映画館は、知事にとってはすでに弱きものになっているのだなぁと思った。弱きものは常に知事を苛立たせるようだった。
作家で元都知事の石原慎太郎が亡くなった。弱きものに嫌悪感を示す彼の、女の私から見た印象を端的に言うと、自分の男性性に一分の違和感もなく生きている人だった。
長身で、金持ち大学生で、ペニスは障子を突き破るほど硬く、サッカー部出身で、湘南ボーイでもあった。週末には商売女を口説き、ヨットで女を口説き、挙句に女を「欠くことの出来ぬ装身具」と言ったりする生意気な大学生たちの小説で芥川賞を最年少受賞した時から、時代遅れの映画館のようなものを嫌悪していた。
彼の男性性は弱さを否定する。正確に言うと彼の目に弱きものとして映るものを否定する。既存の近代文学に中指立てて登場した彼にとって、自分らの作った世界を後生大事にしようとする賞味期限切れの大人たちこそ、自らの若き感性と不良性によって破壊すべきものだった。
私が高校に上がると同時に都知事になった彼はすでにかつて太陽族が破壊したがった大人の権威そのものという顔をしていた記憶があるが、その約40年前の政治の季節には、大江健三郎、江藤淳、寺山修司など当時の若手文化人たちと結成した「若い日本の会」として安保闘争に参加している。
歴史としてしか知らない世代から見れば、そこに連なる名前のいくつかが、後に保守の大物になっていることに違和感があるが、少なくとも石原慎太郎については、大転向というより、彼にとって討伐すべき弱さが時代によって変化したと見える。
彼を苛立たせたのは米国であると同時に米国に対する弱き日本であり、敗戦国の弱きアイデンティティであり、時に女性であり、時に障がい者や在日外国人であり、それらをペニスで障子を突き破るが如く粉砕しようとした。震災時など「男らしさ」「強さ」が期待される場面では生き生きとして見えたし、実際に見事に働いた。
知事を10年務めた頃には、ことあるごとに東京都はいち早くバランスシートを導入した、東京マラソンが大人気だ、という二大実績話をドヤ顔で語り、五輪誘致、改憲、核保有、中国の名称変更など何一つ共感することのない持論を繰り返していて、個人的には歌舞伎町を摘発しまくった人という印象もあるので、こちらからすれば彼こそ討伐すべき大人であった。ただし、弱き老人になることを回避するために暴走老人のあだ名に甘んじて、口はいつまでも障子を突き破っていた。
訃報に対して、彼の数多の問題発言を改めて非難する声も上がっている。掌編集『わが人生の時の時』には幾度も死の主題が登場するが、どれも妙な誘惑と美しさを持って描かれる。「弱さを認められない弱さ」を持ち続けた作家の死が、最後に彼に強き男性性からの解放をもたらす美しいものであったことを祈る。
※週刊SPA!2月8日発売号より
’83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。キャバクラ勤務、AV出演、日本経済新聞社記者などを経て文筆業へ。恋愛やセックスにまつわるエッセイから時事批評まで幅広く執筆。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)など。最新刊『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(発行・東京ニュース通信社、発売・講談社)が発売中
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