エンタメ

限界に挑むこと。それはおっさんには永久にできない、若者だけの特権だ

神のタイムを叩き出してしまった僕

 めちゃくちゃ漏れた。  とんでもないことになった。漏れはしたものの、長ズボンとジャージで良かった。ブリーフで良かった。なんとか食い止めることができた。漏れたものがジャージの裾とかかから漏れださないようにうまく動き、周りに悟られないようにゴールした。 「18秒2!」  とんでもねえタイムを叩き出してしまった。  こうして結局、7秒という壁を破ることはできなかった。そして、おっさんとなった今はもっと足が遅くなっているだろうし、肛門も緩くなったので走りながらオナラをしたら容易に漏れる。もう限界に挑戦することはできないのだ。そう考えるとなんとも寂しくなるものだ。  また朝の通勤。交差点でまた青年と一緒になる。 「どう?自己ベストは出せた?」 「いやあ、なかなか難しくて」  そう苦笑いする彼のことがなんだか羨ましく思えた。彼はこれから限界に挑戦し、それを突破する喜びや、突破できない悔しさ、そういったものを経験する権利を持っているのだ。

僕らおっさんはもう、限界には挑戦できない

「ここだけの話ね、走るタイムを縮めるならとちゅうでオナラするといいよ。加速する」 「は、はあ」 「ただしオナラは3発までだね。それ以上はヒトに戻れなくなってしまう」    老婆心ながらそう助言する。次の日から、青年は交差点に現れなくなってしまった。  もしかしたら気味悪がられたのかもしれない。いや、そんなことはない。きっと彼は限界を超えて、自己ベストを出したのだ。そして、そこで気が付いたのだ。限界を超えた先には次の超えるべき限界があることに。そして、際限なくそれらに挑戦していくことこそ、若さの特権なのだ。きっと今は新たな限界を超えるべく、別のトレーニングメニューになったのだ。  いつもの通勤経路。空を見上げる。僕らおっさんはもう限界には挑戦できない。する必要もない。けれども同じように繰り返される毎日を、限界を超えないように適度に頑張る。それこそがおっさんの特権なのだ。 <ロゴ/薊>
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

1
2
3
4
5
おすすめ記事