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門田博光が今明かす二度のコーチ就任要請「僕が人に教えるのは難しいんとちゃうか」

引退から13年後のオファー

「二回目は、引退から13年後の2005年にオリックス・バファローズの監督だった仰木(彬)さんからオファーがあった。仰木さんの考えは、ヒットを打つバッターと長打を打てるバッターをそれぞれ育てる指導者が欲しかったらしく、単打を打つバッターに関しては既に新井(昌浩)がいたから、長打を打つバッターを育ててほしいということで僕のところへ来たんです。関係者から何度も何度も電話があったんですが、断りました。代わりにブライアントがコーチに招聘されたんですよね」  仰木彬といえば、仰木マジックの異名で近鉄、オリックスを優勝に導き、イチローをはじめ数々の名選手を育てている名将だ。現役時代も一九六〇年代の西鉄ライオンズ黄金期において、鉄腕・稲尾和久、怪童・中西太、闘将・豊田泰光、青バットの大下弘と永いプロ野球史においても本物のサムライが集まった〝野武士軍団〟の一員として活躍したひとりだ。野武士軍団の一員だっただけに「飲む打つ買う」を体現し、豪放磊落な性格だった。だが野球に関しては大胆にして細心な指導、采配が持ち味だったゆえに、傑出した門田のバッティング技術を若い選手に継承させたかったに違いない。 「なぜ断ったかというと、僕が個人に教えるのは難しいんちゃうかと。僕ひとりであればいくらでも努力できますけど、それを押し付けると選手がギブアップしてしまうでしょう。だから指導者には向いてないんでしょうね。おっさん(野村克也)は、それを見越していたんと違いますか。引退して数年後、おっさんと雑誌の対談で会ったとき『おまえの指導者姿を見たかった』と言うんです。ようぬけぬけと言うなと思いましたよ。『あんたが俺を悪人に仕立てておいて、どこから悪人にオファーありますか』って言いたかったけど、うまく流しました。ひょっとしたらおっさんは、この言葉を待っていたのかもしれません けど」

門田博光と野村克也

 ここでも野村克也が出てきた。門田が指導者に向いていないことを野村はとっくに見透かしていたというのか―。 「僕が指導者になって何日間はじっと指導できるけど、『こんなこともできんのか!』ってキレてしまうと〝19番〟は思っていたんだと思います。コーチはキレずに、ネチっこくネチっこくですから。それを言いたかったのかもしれません。今思えば、それでよかったのかわからないですね……」  最後、突然消え入りそうな声でフェードアウトしていく。野球人たる者、自らの手で誰かを育てたい思いは絶対にあるはずだ。振り返って自身が下した決断に後悔の念が生じてしまい、つい感情が錯綜した言い方になってしまったのか……。最後のかき消された部分こそが門田の真の声だったように思えてならない。  野村は門田のことをかねてから「協調性ゼロ。自分本位。変人。いい意味でマイペース。指導者としての資格はない」と公言し、自らの講演会でもネタにするほど門田を揶揄しまくった。野村の発言は影響力があるだけに、門田の変人ぶりがますます増長されていった側面は否めない。愛情の裏返しとわかっていても門田にとってはいい迷惑だった。それでも、野村を完全に切ることはなかった。 「おっさんとはわけのわからん特殊な仲であり、たまに二人の間ではおもろい時間が流れていました。他球団の選手が欲しかったら『カド、あれどうや?』と聞いてくる。本当に仲が悪かったらそんなこと聞いてこない。ホンマ、なんやかんやでよう生きらしてくれました」  野村の存在が門田の野球人生において〝影響〟という単語で収まらないくらい、特殊な関係性があったのは言うまでもない。確執なんかあって当たり前、それすらも超越したものが二人の間にあった。血を分けた肉親のような繋がりでもなく、戦友でもなく、あくまでも監督と選手の主従関係。野球の素質に関しては叩き上げでやってきた同タイプであり、争いが絶えないのは同族嫌悪からだろう。  何かを手に入れるためには、何かを失わないといけない。でもこの世の中、手放してはいけないものがある。門田は、野村を通じて早い段階からそれをわかり、あえてそれに固執したのかもしれない--。 【関連記事】⇒門田博光さん記事一覧 【門田博光】 ’48年、山口県生まれ。左投左打。’69年にドラフト2位で南海ホークスに入団。2年目にレギュラーに定着し打点王を獲得。’81年には44本の本塁打を放ち初の本塁打王を獲得した他、晩年も打棒は衰えず40歳にして本塁打王、打点王を獲得。「不惑の大砲」と呼ばれた
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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