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門田博光・74歳は今も闘い続けている。稀代の豪打者を襲う“病魔と孤独”

 門田博光、田尾安志、広岡達朗、谷沢健一、江夏豊……昭和のプロ野球で活躍したレジェンドたちの“生き様”にフォーカスを当てた書籍『確執と信念 スジを通した男たち』が発売中だ。 門田博光 大男たちが一投一打に命を懸けるグラウンド。選手、そして見守るファンを一喜一憂させる白球の行方――。そんな華々しきプロ野球の世界の裏側では、いつの時代も信念と信念がぶつかり合う瞬間があった。あの確執の真相とは? あの行動の真意とは? “孤高の鬼才”と呼ばれた男、門田博光の光と陰に迫る(以下、同書より一部編集の上抜粋)。

“稀代の豪打者”を襲う病魔

門田博光

73歳(取材当時)の門田博光

 突然だった。  ゴォゥ、ゴォゥロロ……。  重低音が空を揺さぶるように響きわたる。  ドス黒い雲が空一面を覆い、辺りの光量が一気に落ちた。真昼間なのにまるで風雲急を告げるかのような暗さだ。  近畿の外れにある地方都市のホテルの入り口でひとりの男と待ち合わせをしていた。曇天のせいか湿気を帯びた空気がネチャネチャと肌にまとわり付き、少し不快感を覚える。五月だというのに、妙に蒸し蒸しする暑さに苛立ちを募らせているときだ。 「こんにちは〜」  力感のない掠れた声が背後から聞こえた。すぐさま振り向くと、グレーの格子柄のスーツを着た小柄な老人が軽く会釈をする。え〜と……!? 誰だかわからない。 「今日はよろしく〜」  そう声をかけられた瞬間、「うっ……」声にならず絶句してしまった。  人はどんな行動を取るときにでも大なり小なりその先に起こる事態をイメージする。つまり予測だ。そのズレが大きければ大きいほどギャップが生まれ、動揺する。偉大なホームランバッターの豪快なフォロースルーがしっかりと脳裏に焼き付いていただけに、一瞬目を疑ってしまった。  一七〇センチそこそこの身長で豆タンクのような逞しい体躯を誇った男が、老齢も相まって痩せ細り、実年齢よりもかなり老けて見えた。もはや別人にしか思えなかった─。

鬼才が抱えた孤独

「友人はいません。ローンウルフです。“19番”との一件から、勝負の世界はひとりでいいと思い、一切人を寄せつけなかった。引退したら横の繫がりがないから大変やね。話し相手もいないし……」  七三歳の門田博光は、静かな笑みを浮かべながら重い息を吐くようにそう言った。一九七〇、八〇年代に南海ホークス、オリックス・ブレーブスで活躍した往年の大スラッガーの絞り出した吐息はあまりに儚く、切なかった。  日本にプロ野球が誕生して九〇年弱、幾多の偉大な記録が生まれてきた。バッターにとって最大の醍醐味は何と言ってもホームランだ。野球がわからない人でもホームランの派手さは一目見れば誰でもわかる。  打者にとって最高の名誉でもあるホームランの歴代通算第一位は、言わずと知れた“世界の王”こと王貞治(現福岡ソフトバンクホークス取締役会長)の868本だ。次に選手としてだけでなく名将とも謳われた野村克也の657本、そして第三位に門田博光の567本が食い込む。また好打者の条件とも言える歴代打点数の記録を見ても、一位に王貞治の2170打点、二位に野村克也の1988打点、ここでも三位に門田博光が1678打点で名を連ねる。  ホームラン数、打点数ともに王、野村という大レジェンドに次ぐ歴代三位の記録を残しながら、門田は引退後、監督はおろかコーチも一度としてやっていない。王、野村が現役時のみならず引退後の功績も華々しかっただけに、門田の引退後が極端に寂しく思えた。 「死と生を一日おきに繰り返す感じで、あまり体調はええことありません」  門田は、薄ら笑みを浮かべながら弱々しい声を発した。それでも暗い様子を微塵も見せまいと努めて明るく振る舞おうとしている。年齢による老けもそうだが、体調の悪化により老年度が増してしまったのは明らかだった。
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門田の生き様は常に闘いの連続だった
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