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小山田圭吾のフジロック出演に、賛否の嵐。いじめ騒動から1年では“早い”のか

十字架を背負いながらも選択した道

   加えて、小山田氏はすでに十分なほどの社会的制裁を受けてきました。長年担当してきた『デザインあ』(Eテレ)を降板し、“障がい者いじめ”のイメージからも生涯逃れられないでしょう。そのように見る世間が悪いのではなく、彼が背負わなければならない十字架です。  だとしても、小山田氏には音楽活動をする権利があるし、それを感情論で制限することがあってはならないのですね。 “いじめを受けた側は立ち直れないケースがあるのに、加害者は比較的容易に復帰できてしまう”との意見もありました。確かにそういう側面はあるでしょうし、筆者も複雑な思いを抱きます。  けれども、それはまた別に取り組むべき問題であって、ひとまず小山田氏にも生活を営む権利があるという事実まで覆すことはできない。  だから筆者は1年ほどで戻ってきた小山田氏の勇気に感嘆するのです。  皮肉ではありません。ほとぼりの冷めないまま、反発の声が大きいこともおそらく承知のうえで職務をまっとうする道を選択した。  罵詈雑言とエールが混在する中で音楽の質を追求する作業は困難を極めるはずです。  人間臭い小山田圭吾。ありえないと思っていた姿が見られるかもしれません。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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