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小山田圭吾も自分の立場を勘違い!? 東京五輪クリエイターの「バカの壁」

文/椎名基樹

東京五輪で思い出される「バカの壁」での指摘

 養老孟司の著書「バカの壁」(新潮社)は、約450万部を売り「平成で1番売れた新書」だそうだ。しかしこの本のメッセージが日本人に行き渡っているかと言えばそうではないらしい。  東京オリンピックをめぐって、デザイナー、演出家、作曲家などが次々と失脚する騒動を見るにつけ、私はバカの壁の第四章「万物流転、情報不変」の内容を思い出す。
東京五輪クリエイター

7月19日には小山田圭吾が辞任、開会式前日の22日には小林賢太郎の解任が発表されるという異例の事態に

 現代人は「情報は日々刻々と変化し続け、それを受け止める人間の方は変化しない」と思いこんでいるという。「情報は日替わりだが、自分は変わらない、自分にはいつも個性がある」と考えていると。しかし、これは実はあべこべの話であり、実際は「人間は常に変化・流転し、逆に情報は不変」であるというのだ。  人間は成長し、老いてもいくし、経験によって考え方も変わってくる。だから、人間は日々変化している。一方、情報とは例えば言葉だ。昔の名言は、一字一句変わらぬまま現代に残っている。そういう意味で情報は不変と言える。インタビューを受けたとして、同じ聞き手に同じように聞かれても、話すたびに内容は微妙に変化するが、話した内容を収めたテープの中身は変わらない。これが生き物と情報の違いだという。「情報は日替わりである」と勘違いしているから、現代人は言葉を軽んじてしまうのだ。

小山田圭吾も「人間は不変」と勘違いしていたから……

 東京オリンピックに関わったトップクリエイターたちが、過去の発言を掘り返され、ガラリと評価が変わり、むしろ軽蔑されながら失脚していく姿は、まさに養老孟司の指摘を体現している。  彼らは、業界の評価を獲得し、または世間に多数の信奉者を得て、自らをゆるぎない存在だと思い込んでいただろう。羨望を勝ち取り、多くの収入を取得し、膨らんだ自我は、発言を尊大にし、自らの言葉に無責任になっていた。自分は何を言っても許される。言葉が自らの地位を脅かすわけがない。そして、その地位を担保するものは、自らの個性=才能だと信じていたはずだ。養老孟司の指摘する現代人の典型が、彼らトップクリエイターという人種なのではないだろうか。  養老孟司の解説では、フランツ・カフカの小説「変身」は、前述の現代社会の勘違いがテーマだと言う。主人公、グレゴール・ザムザは朝、目覚めると虫になっている。人間が流転することを「虫に変身する」という形でデフォルメしている。虫になってなお、人間は不変だと信じて疑わない主人公は、「俺はザムザだ」と言い続ける。  小山田圭吾も同じように、一夜にして、渋谷系の王子様から他人に大便を食べさせる変態野郎・うんコーネリアスに変身してなお「俺はオリンピックの楽曲制作を続ける」と言い続けた。  ただ情報が不変である事は間違いないが、それが事実の全てを語っているかと言えば、そうとは言えないとも思う。
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バカさ加減が最も際立っていたのは……
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