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「かっこいい生き方」はどこにある? 居酒屋のおっさんが教えてくれた人生訓

おっさんの語る「かっこいい人生」とは

 年上のおっさんはなかなか深みのあることを言っている。 「風俗店のパネマジと一緒ね。ぜんぜん違うやつ出てくるし」  そう答えた年下のおっさんは絶対に話の本質を理解していない。 「おれ、病気になってもうフルタイムで働けないし、家庭を築くこともできなかった。年老いた親のために何かもしてやれないし、甥や姪にまともな祝いも送れない」  年上のおっさん曰く、脚光を浴びるような、大成功をするような特別な人生でなくても、心の中で漠然と「普通に生きる」ことはできると考えていたようだった。思えばそれが彼にとっての「かっこいい人生」だったようだ。バリバリに働き、家庭を持ち、親族を大切にする。それがかっこいい人生だと考えたようだ。僕自身はそうは思わないが、年上のおっさんはそう感じたようだった。 「それらはぜんぶ無理になっちゃったけどね」  何の病気かは分からないが、病気が原因でバリバリに働けなくなってしまった。それで全ての「かっこいい人生」が崩壊した。年上のおっさんはそう言った。 「このあいだ行った店なんてマジパネマジですよ、パネルマジックどころじゃない、パネルイリュージョンですよ」  年下のおっさんはまだパネマジのことで盛り上がっていて、年上おっさんの渾身の独白もまったく心に響いていない様子だった。いまはもう、パネマジのことはどうでもいいんだ。上手に話題の切り替えができないところが本当におっさんの特徴を表している。

こんなに余裕のない人生を送るとは思わなかった僕

 年下のおっさんには響かなかったようだけど、ぜんぜん関係ない僕には随分と響いた。思えば僕も、若い頃に漠然と思い描いていた「かっこいい人生」ってやつには到達できなかったように思う。  それは脚光を浴びたり成功したりという断片的なそれではなく、また年上おっさんのいう「安定した普通の人生」でもないように思う。僕にとっての「かっこいい人生」とは、なんというか余裕のある佇まいの人生であるように思う。焦ることなく、不安になることなく、苛つくこともなく、心配事もない余裕ある人生と立ち居振る舞い、それが僕にとっての「かっこいい人生」だったように思う。  いつかはそんな余裕ある「かっこいい人生」を送れると思ったのにそれがどうだ。いまの僕は余裕とは程遠い。  まさか、総菜弁当が半額になる瞬間を狙って腕組みで立つ(通称:ベガ立ち)オーディエンスの前で普通に弁当を買おうとして、こっちはずっと待っているんですけど、と言われて壮絶な口論を展開するほど余裕のない人生を送るとは思わなかった。「俺は定価で買いたいんだ! 店のために!」と本気で反論せず、「あら失礼、どうぞ」と譲ってあげられる余裕があることこそが「かっこいい人生」なのだ。  まさか、家の前にいつも犬のウンコを放置する人がいて、あまりに腹が立ったものだからその犬のウンコを毎日チョークで意味深に囲って「12/03 AFRG-OK」とかその日の日付と何かをチェックしたみたいな意味深なことを書いていたらそのうちウンコされなくなったみたいな、余裕のない人生を送るとは思わなかった。犬のウンコくらい、オールオッケーですわ、くらい余裕があるのが僕にとって「かっこいい人生」なのだ。  そういった自分が思い描いていた「かっこいい人生」に多くの人が到達していないのではないだろうか。そこで「かっこいい人生ではなかった」ときちんと認識し、受け入れる必要があるのだ。成功や到達の断片よりも、至らなかったその思いはずっと現実として続いていて、重い。それを受け入れる必要がある。
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おっさんの「悟り」に深く頷く僕
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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