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“中学時代の謎の風習”は、おっさんたちが必ず盛り上がる鉄板トークだった

ビビっている新入生を前に、番長は……

「新入生相手に上級生がしめるわけですね。上下関係を叩きこむ感じで。小学校までとは違うぞって。ある意味ありがちな風習だよなあ」  別のおっさんがそう指摘する。しかし、おっさんは首を横に振った。 「いやいや、これはそういう風習ではないんだ」  とにかく、番長クラスに呼び出されてビクビクしているとその番長が説明してくれる。 「お前ら! 中学に入ると小学校までとは何もかもが違うんだぞ!」  あまりの恐ろしい形相とその勢いに新入生がブルっていると、ラオウは急に表情を変えた。慈愛に満ちた優しい表情に切り替わったのだ。 「もう学校でウンコしていいからな」  そう言って、各々が個室に入ってウンコをするように促すのだ。  これはウンコ赦しの儀式と言われ、本当にあった風習らしい。当時の小学校では、学校でウンコをしようものなら囃し立てられ、祀り上げられ、人権を失うレベルで迫害されるものだったのだけど、中学になるとそれが落ち着く傾向にあった。まあ早い話、まあまあ学校でウンコをするようになっていた。この中学ではそれを明確にしようと、先輩らがウンコをしていいんだぞ、と新入生に教える儀式があったそうだ。

無言で掃除をするという謎の風習

「慈愛に満ちている」 「すべての中学がこうありたい」 「それでさあ、先輩はしてもいいんだぞ、って慈愛に満ちて言ってくれていたのに、俺はあまりの怖さに『いまここでしろ』と脅しで言われていると勘違いしちゃってさ。さすが中学ともなると先輩からのイビリも桁違いだぜってビビっちゃってさ、“きのうキンピラを食ったから出ません”と泣きながら先輩に言っちゃったのよ」 「なんでキンピラ」 「俺もよく分からないけどそう言っていた。それで俺の中学のあだ名は3年間、キンピラよ」  キンピラはツマミのキンピラを食いながらエピソードの披露を終えた。 「じゃあ最後は俺だな」  また別のおっさんが身を乗り出す。おっさんは「これは俺の地方ではどこの中学もやっていて普通だったから疑問に思わなかったけど他の地方ではあまり聞いたことがないから、かなり局地的なものだったんだと思う」と前置きして話し始めた。  それは、無言清掃と呼ばれるものだった。廊下に並んで瞑想をし、そのままの流れで無言で掃除をするという儀式めいたものだったらしい。本当に無言で、「ホウキとって」とか掃除に関することすら言葉を発することを禁じられていたらしい。 「まあ、無言清掃は別にいいのよ。ただ黙って掃除するだけだからな」  おっさんはそう言った。おそらく、仏教の修行に近いものがあり、そのような効果を狙ったものだと思う。地方によっては小学校から高校、社会人まで一貫してやることもあるそうだ。
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無言清掃のさなかに起きた、ある事件とは
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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