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何でもワイヤレスにするのが“絶対的正義”ではない。テクノロジーの進化に辱められた話

ossan1おっさんは二度死ぬ 2nd SEASON

ワイヤレスの罠

 なにごとも「便利であればあるほど良い」という風潮はとにかく危ない。電車の中で若手に説教をするおっさんの声が聞こえた。確かにその通りだ。  テクノロジーの発展は様々な「便利」を我々の生活にもたらした。その「便利」はすぐにそれなしでは成り立たない日常を形成していく。けれども、そこに落とし穴があるのだ。けっこうな勢いで説教するおっさん、その話を若手はほとんど聞いていない。むしろ無関係な僕がしんみりと聞き入り、いろいろと思考を巡らせることとなった。  テクノロジーの発達といえば、最近ではとにかくワイヤレス化が目まぐるしい。  やれワイヤレスだと、製品からコードがなくなったものが持て囃される傾向にあり、便利で最先端という風潮だ。ただ、じつはこれ、なにも今にはじまったことではなく、ITが叫ばれるずっと以前から存在した現象だ。  僕らおっさん世代には馴染みが深いかもしれないが、古の時代に颯爽のごとく登場したコードレス電話機がそれにあたる。  それまでは電話といえば壁から生えている電話線に接続された状態であり、さらにその電話機から受話器までも、なんかグルグルのコードで繋がっていた。電話を受けるときも掛ける時も電話の場所まで行く必要があった。そこにコードレス子機を備えた電話が登場したのだ。いまでこそスマホなどで当たり前だけど、コードのない状態で会話ができるというのは未来そのものでもあった。

初めてのコードレスに浮かれすぎた僕ら

 うちの父親はそういった新しいものが大好きだった。それに商売をしていて電話が生命線でもあったので、すぐに飛びついていた。世間一般に普及するよりずいぶん前に我が家にはコードレス電話が導入されていたのだ。 「電話線のない電話を見に行こう」  あまり記憶がないけれども、おそらく中学生の頃だったと思う。我が家に導入されたコードレス電話が話題になり、友人たちが我が家まで見に来たことがあった。戦後間もない頃にみんなで街頭のテレビをみたノリだ。  みんなでグルグルと子機を回して手に取りながら、「すげえ、コードがないのに本当に会話できる!」と驚き合ったものだった。  友人の誰かが「どこまで通話できるか試そうぜ!」と子機をもって外に出てしまい、どんどん悪ノリしだして大騒ぎになり、ラグビーボールのように子機が飛び跳ねていた。そして、勢い余ってどぶ川に落として壊すという事件が勃発した。買ったばかりの最先端の電話機がぶっ壊れたことに両親は激怒し、僕自身がけっこう重めの説教を受けることとなった。 「コードさえあればこんな悲劇は起きなかったのに」  その熱き説教を受けながらそう思ったものだった。
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すべてのコードレスが正義なのか
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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