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何でもワイヤレスにするのが“絶対的正義”ではない。テクノロジーの進化に辱められた話

すべてのコードレスが正義なのか

wireless-internet-access-7404730_1280 時代は流れ、現代もやはりコードレスなものが最先端という風潮が続いている。イヤホンはいつのまにかコードがないものばかりになり、プレステのコントローラーもワイヤレス、マウスのケーブルも存在しない。掃除機などもコードがなくなり、あのボタンを押すとシュルシュルとコードが収納されるものは時代遅れになりつつあるのだ。  これらにコードが存在しないことは確かに利点だ。コードレス掃除機の取り回しの容易さなど感動ものだ。しかしながら、すべてにおいて「コードレスが正義」とは言えない事情がある。  つい最近、AirPodsというイヤホンを購入した。それまでダイソーの100円イヤホンを使っていた僕としては2万円以上の値段ともなるAirPodsに腰が抜けそうになる。ダイソーのヤツなら200個も買える。けれども、なんだか良さそう、みんな使っているし、という理由で購入した。  もちろん、便利だし、音質も良い。けれども別の問題が発生した。かなりの確率でなくすのだ。というか吹っ飛んでいく。

「おにぎりころりん」さながらにイヤホンを追いかけた

 僕はネックストラップを使ってスマホを首からぶら下げている。ただ、このストラップがあまり長くないので、スマホでピッとして改札を通るときに、届かないので外す必要がある。ストラップが耳を通過する際にこのAirPodsを引っ掛けてぶっ飛ばしてしまうのだ。2万円がいとも簡単にぶっとぶのだ。  先日は品川駅でこれをしてしまい、転がり続けるAirPodsを追いかけるという、おにぎりころりん状態になってしまった。ダイソーの100円のヤツなら諦めることもあるかもしれないが、さすがに2万円はどんなに恥ずかしくても追いかけるしかない。  コードレスは確かに便利だけど、コードさえあれば防げた惨事だ。というかスマホにつけているネックストラップ自体が、スマホを落とすという惨事を防ぐために導入されたものだ。  モバイルバッテリーもそうだ。僕は旅先でスマホを駆使した取材をすることが多い。当然ながらスマホの充電が生命線となる場面が多いため、モバイルバッテリーは必需品だ。そのモバイルバッテリーの充電すらも枯渇して追い込まれることもあるので、充電するチャンスがあれば目ざとく充電するようにしている。  多くのモバイルバッテリーが、充電の際にはコンセントから伸びるコードを経て本体へと行くはずだ。常日頃からこのコードが邪魔だと思っていた。カバンに入れているとめちゃくちゃ絡まったりするのだ。このコードさえなければ便利なのに。モバイルバッテリー本体からニョキッとコンセントプラグが出ていればいいのに。
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マウスのあの猥雑なコードから解放されたと思いきや
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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