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広島・坂倉が“日大三を選んだ”理由。甲子園には縁がない3年間でも「一生の財産」

「謙虚さ」が日大三の伝統に

小倉全由

ノックを打つ小倉前監督(写真は2020年撮影©上野裕二)

 坂倉は1年生のときから頭角を現した。持ち前の打力を生かすために外野手もこなし、この年の秋には4番に座り、翌年の新チームの秋から正捕手の座についた。  小倉氏が坂倉、とりわけ日大三の選手に教え続けたのは、「謙虚さを持つことの大切さ」だった。 「『野球がうまい』というだけで、一般生徒の前で大きな顔をするんじゃなくて、クラスメートとも仲良くするんだ。ここで培った人間関係はこの先一生続いていく。くだらない上下関係は一切ナシにして、先輩は後輩と仲良くやるんだぞ」  坂倉は小倉氏の教えを遵守した。野球も勉強も一生懸命取り組むのはもちろんのこと、決して天狗にならずに謙虚さを持ち続ける。そのことで学校全体で応援してくれる野球部を作っていくことを心掛けていた。小倉氏のこの考え方は日大三の伝統として、現在の三木監督にも受け継がれている。

甲子園には縁がない3年間だったが…

 残念ながら坂倉は高校3年間で一度も甲子園に縁がなかった。夏に限って言えば1年生のときは西東京大会の準決勝で東海大菅生に6対12、2年生のときも準決勝で早稲田実業に0対2で敗退し、最後の夏の西東京大会も準決勝で東海大菅生に2対4で敗れた。  だが、坂倉は高校野球を終えた後、「甲子園には行けませんでしたが、日大三で野球ができたことは、人間関係も含めて一生の財産になりました」と小倉氏に感謝の気持ちを述べていた。 「1学年下に投手の櫻井(周斗・2017年ドラフト5位でDeNAに入団)がいましたし、甲子園を狙えたチームでしたけれども、残念ながら行けなかった。あと一歩のところで勝たせてあげられなかったのは私にも責任がありますが、それでも坂倉は三高に来たことを感謝してくれていた。指導者冥利に尽きる彼の言葉に私も彼に感謝していました」  小倉氏は当時の心境についてこう振り返った。
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プロから注目されていた坂倉の進路は…
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スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』(双葉社)
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