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3歳で両親との別離を決意…“149cm109kg”の脳外科医が「挫折を苦にしない」ワケ

 才能の優れた女性――。だが挫折なき才能に、人が魅せられることはない。本連載では、生きるのに不自由しない輝きを持ちながら、それに甘んじることなく挑戦し続ける風変わりな女性たちの半生を紹介する。  眠気を一瞬で散らす派手な色使いの洋服に、ステンドグラスのような材質の眼鏡、毛髪は100色の色鉛筆を思わせる。149センチ、109キログラムというその体躯から、“カラフルデブ”を自称する。彼女の名は、Drまあや。ファッションデザイナーであり、現役の脳外科医だ。    人々の印象に強く焼き込まれる独創的なデザインで自己表現できるだけでなく、脳外科の専門医としてこれまで多くの生命を救ってきた。徹頭徹尾さぞ満ち足りた人生だろうと思えば、「とんでもない」と彼女はかぶりを振る。まあや氏は「3歳で自分の両親を見限っている」という。
Drまあや

Drまあや氏

喧嘩が絶えない両親の姿を見て…

「私は東京都世田谷区に生まれました。両親はともにジャズをやっていて、日中は二人とも家にいて、夜に仕事に出かける生活。私は夜中まで起きて、両親の帰りを待っていることが多々ありました。両親の仲は悪くて、母がヒステリックに父をなじる声をいつも聞いていました。幼心に、『家を出たい』と思っていました。  3歳のある日、母方の祖母が岩手県から上京してきたことがありました。母方の祖父は医師をしていて、いわゆる地元の名士。当時の岩手県の水準からみればかなりいい暮らしをしていました。そりが合わない両親と生活するのであれば、祖父母と暮らしたいと私は思ったのです。  そこで直談判すると、私を岩手県に連れて行ってくれました。もちろん、祖母はそのまま住み着くとは思っていなくて、数日いれば帰るだろうと思っていたようです。しかし私は何度母が迎えに来ても、決して東京に帰りませんでした。結局、岩手医科大学を卒業するまで、岩手県で過ごしました」

祖母からの辛辣な一言で歩む道を決めた

 3歳で自らの置かれた状況を冷静に俯瞰し、希望を押し通す実行力には驚嘆させられるが、岩手県での生活のすべてが薔薇色というわけではなかった。 「あの年代の人たちの特徴かもしれませんが、祖母は歯に衣を着せないタイプの人でしたから、よく『あなたは可愛くないし、貰い手もいないだろうから、手に職をつけなさい。勉強して、医者になりなさい』と言われていました。小学生くらいのころは私も内心では反発していましたが、中学校に入学するころには、だんだん自分がモテないことを自覚しました。もうそのときには祖母への反発もなくて、勉強して医師を目指そうとはっきり決めていました。  祖父は医師として立派な人でした。自分の時間のほとんどを診療に費やして患者さんに向き合える医師で、同じ医師になってから余計にその凄さがわかります。ただ、お酒を飲むと豹変するところがあり、それだけは家族も手を焼きましたが」
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「どうしてあんたは生まれてきちゃったんだろうね」
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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2023年11月30日まで、ラフォーレ原宿にて開催されている『愛と狂気のマーケット』にて、Drまあや氏が出店中。
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