手取り12万円・ボーナス無しからの返済生活…奨学金を借りた漫画家が「30歳で200万円を返すまで」
学生時代に奨学金制度を利用した人たちのライフストーリーを通じ、奨学金を借りたことで価値観や生き方に起きた変化を描くドキュメント『奨学金、借りたら人生こうなった』 (扶桑社)がコミカライズされ、『奨学金借りたら人生こうなる!?~なぜか奨学生が集まるミナミ荘~』(祥伝社)として、11月17日より各種電子書店で配信されている。
本作に携わる久松ゆのみ氏は、奨学金を借りた経験を持っている漫画家だ。いったいどのようなキャリアを歩んできたのか。学生時代から今に至るまでを振り返ってもらった。
「父が高校1年の頃に病気で亡くなったんです。弟の進学も考え、もともとは高卒で事務職に就くつもりで高校は商業高校に進んでいたんですが、方向転換を余儀なくされましたね」(久松ゆのみ氏、以下同じ)
子供ながらに親にお金をかけさせたくないと考えていたという久松氏だが、漫画好きで中学の頃には同人活動を始めていたことも影響し、高校生の時にバイトとして印刷工場で働き始めたことが人生の転機となった。
「当時のバイト先の印刷会社の社長から、『これからの時代はフォトショップとイラストレーターを使ったデザイン業だ』と、よく聞かされていて。デザイナーの仕事なら同人活動の経験も少し活かせそうだし、食いっぱぐれもしなさそうだなと。高校生ながらに『事務系の仕事より職人っぽい仕事のほうが自分は向いているな』とも思い、日本学生支援機構から200万円ほどの奨学金を借りて、デザイン系の専門学校へ進学しました」
久松氏は専門学校を卒業後、就職氷河期のなかデザイン会社に入社する。しかし、初任給は額面にして16万5000円。手取りは12〜13万円ほどで、食費を月1万5000円以下に抑えるような“切り詰めた生活”を余儀なくされる。
「生まれも育ちも愛知なんですが、実家から会社のあった名古屋まで通勤するのが物理的に難しくて……。やむを得ず家賃が5万円弱の部屋で一人暮らしを始めました。ただ、その印刷会社は、いくら長時間働いてもボーナスはゼロ。普通に時給バイトしたほうがいい暮らしができることに気づき、1年で退社しました」
奨学金を借りて専門学校に進学
手取り12万円で始まった「返済生活」
1988年生まれ道東出身、大学でミニコミ誌や商業誌のライターに。SPA! やサイゾー、キャリコネニュース、マイナビニュース、東洋経済オンラインなどでも執筆中。いろんな識者のお話をうかがったり、イベントにお邪魔したりするのが好き。毎月1日どこかで誰かと何かしら映画を観て飲む集会を開催。X(旧Twitter):@tsuitachiii
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