夜逃げ、離婚、娘の死…“波乱万丈すぎる人生”を歩んだ男が作る演奏会の中身「奇声を発してもOKな空間を」
その旋律に触れたとき、儚げなのに身を任せられる安心感に包まれた。『月光』――ピアニストのDAKOKU氏(48)がキングレコードから発売した楽曲だ。
DAKOKU氏には作曲家、ピアニストのほかに、放課後等デイサービスなどを運営する福祉施設の運営責任者としての顔もある。幼少期から音楽に親しんだピアニストが障害者福祉と出会うまでの軌跡は、あまりに波乱に満ちていた。
DAKOKU氏がピアノと出会ったのは幼少期。一緒に暮らしていた祖父がピアノに引き合わせたのだという。
「祖父はピアニストを断念して別の学問で大学教授まで上り詰めた人で、指導は非常に厳しいものでした。間違えたらゲンコツは当たり前で、決められたピアノの練習時間中は、トイレへ行くのにも許可が必要でした。私の練習中はいつも後ろで腕を組んでいて、威圧感がありました。今思い返してもスパルタ教育だったと感じます。祖父がピアノをさせたかったのは私だけで、妹は強要されることはありませんでした。男でピアニストというのが、祖父にとってステータスだったのかもしれません」
音楽修業が奏功してDAKOKU氏は音楽の名門・国立音楽大学へと入学するが、その前に一騒動あった。
「私が高校3年生の頃、祖父母の旅行中に、父母が私と妹を連れて、祖父から夜逃げをしました。理由は、祖父の私に対する指導が行き過ぎていたからです。当時、あまりに暴力がひどく、顔に生傷が絶えず、口腔内から出血することもしばしばありました。特に母はそれが我慢ならなかったらしく、私たちは母の親戚の自宅に身を隠しながら、母の名義で購入した物件に移り住みました。祖母はとても良くしてくれたので、旅行から帰ったら家族がいない状態になっていて、きっと驚いたのではないかと思います」
もちろん、青春を捧げたピアノは夜逃げする際にもクレーン車で運び出すほど大切に扱った。だが音大入学後、DAKOKU氏は悩みの入口に立つことになる。
「当時は、『なんとかして音楽で身を立てなければ』と焦っていました。しかし全国から集められた音楽エリートは猛者揃いで、彼らの才能に比べて自分が見劣りすると嘆いては、音楽の勉強よりも『音楽をやって何になるのだろうか』とか『自分には才能があるのだろうか』ということを考えるようになっていました」
祖父の厳しい指導に耐えかねて夜逃げを決行
「音楽をやって何になるのだろうか」と思い悩む
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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