スポーツ

福留孝介、メジャー球団からの53億円提示に「えっ、何で?」初年度に経験した“練習できないストレス”

リハビリで訪れたアメリカ。30歳の「予期せぬ転機」

サムライの言球メジャー行きを決めた’07年は福留にとって激動の一年だった。30歳を迎えたこの年、シーズン中に右ひじを故障し、8月には渡米して手術を受け、リハビリ生活を送った。 「手術とリハビリの間、しばらくアメリカに滞在しました。その間にドジャースタジアムには何度も行きました。それまでオリンピックやWBCでアメリカの球場で試合をした経験もあったけど、通常のレギュラーシーズンをスタンドから観戦するのは、また違った新鮮な感覚でした。ちょうど、斎藤隆さん、石井一久さんが在籍していました。このとき、『こういう雰囲気の中でプレーしてみたいな』という思いにはなりましたね」 30歳で迎えたこの年のオフに福留は結婚する。同時に初めての子供も誕生する。本人の言葉を借りるならば「新しいことにチャレンジするにはいい機会」だった。こうして、本人も周囲もまったく予期していなかったメジャーリーガーとしての日々が始まった。

「何も変えない」と決意した理由

アメリカ行きにあたって、福留には「ある決意」があった。それが、「何も変えない」という思いだった。 「まずは、自分がどこまで通用するのか試してみよう、という思いでした。だから、いきなり向こうのスタイルに合わせようという思いはまったくなくて、日本でのスタイルを貫くことに決めました」 松井秀喜はメジャー入りが決定した直後、バット材をそれまでの国産アオダモから北米産のホワイトアッシュに変更した。それに伴い、打撃フォームも微調整したという。 「結果的に僕も1年目の夏場にアオダモからカナダ産のメイプルに変更するんですけど、カブス入り直後はアオダモのままでしたし、打撃フォームも変更しませんでした」 100%の自信があったからではない。むしろ「そのままで通用するはずがない」と思いつつ、あえて「そのままで臨む」ことを選択したのだ。その理由は何か? 答えは簡潔だ。 「野球選手というのは、常に『これでいいのか?』と自問自答しています。僕自身も、カブス入団直後から、ずっとそう思っていました。でも、まずは“何が通用するのか?”“どこを変えなければいけないのか?”を知るためには、そのままで臨むことが大切だと考えたからです」 スプリングキャンプでは、基本的には「日本流」を貫きつつ、何があってもすぐに対応できるよう、不測の事態に備えてあえて始動を早めたり、ノーステップで打ってみたり、いろいろなことを試した。
次のページ
メジャーデビュー戦で見事な活躍
1
2
3
1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数

記事一覧へ
おすすめ記事
ハッシュタグ