更新日:2024年03月10日 09:13
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「パチスロで勝つほど人間関係はボロボロに…」50歳の元パチプロに“その後の人生”を聞いてみた

パチスロ好きが集まった“牧歌的な集まり”

パチンコ 今でもイベントや新装開店を訪れる「軍団」と呼ばれる集団がいるが、川本さんが入ったノリ打ちグループは「パチスロ好きが集まった牧歌的な集団だった」という。 「通常営業でも1島に1台は必ず設定6を入れるホール、イベントだと全台設定5,6になるホールとか、そういう“無茶な営業”をしているホールが当時は珍しくなかったんですよ。ホール情報は今だとSNSとかなんだろうけど、あの頃はそんなもんなくて、ある程度ホールに通ってクセを見抜いたり、状況を把握しなきゃいけなかった。新装開店も新台入替も会員に送るハガキのダイレクトメッセージとか、新聞の折り込みチラシ、さもすれば店頭のポスターだけだったりね。だから、情報を持っていることって、それだけでオイシイことだったわけです」

高設定の台だけ終日打ち切るスタイル

 イベントの情報を持ち、集団で打っていたら当然勝つことができる。他のメンバーも、時間の融通が利く人が多かったようだ。 「私がいたヒロさんのグループは15人くらいはいましたよ。東京、神奈川、千葉、埼玉のホールに会員登録したりして情報を得て、それを共有して、高設定が入るイベントや営業日、甘い営業スタイルのホールなんかを狙ってみんなで打ちに行ってたんです。それでメンバーの誰かが高設定をつかんだら、それ以外のメンバーは打つのをやめて終日打ちきってもらって勝ち金を山分けするというスタイルでした。メンバーは、みんな自営業やフリーター、学生など、時間に融通が利くパチスロ好きで、私みたいにスロットだけでしのいでいたのはほとんどいなくて、専業はリーダーのヒロさんくらいだったんじゃないかな」
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楽しい時代は4号機の終焉とともに…
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グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター

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