更新日:2024年03月10日 09:13
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「パチスロで勝つほど人間関係はボロボロに…」50歳の元パチプロに“その後の人生”を聞いてみた

収支は上向きも私生活はボロボロ

パチンコ台 だが、逆にグループで打つよりも1人で立ち回ることで、川本さんは効率よく高設定をつかんでしのぎ、ノリ打ち時代よりも収支は上がって安定したのだとか。そんな川本さんは当時、実家を出て八王子で彼女と同棲していたというが、彼女との関係を巡って窮地に立たされることとなる。 「2006年くらいって東京都下や郊外の店がものすごい優良店揃いだったんですよ。新宿とか都内の繁華街で打つなんて馬鹿らしく思ってました。5号機に移行しても設定状況は良好で、パチンコも優秀台が多かった。当時、5号機ってギャンブル性が抑えられたことでものすごく評判が悪くて、みんな敬遠してたんです。でも、出玉性能はマイルドであっても高設定だとタコ粘りすれば安定して勝てたんですよね。おまけに客を呼ぼうと5号機に高設定を投入するホールが多かったんです。でも、客はギャンブル性を求めて残っている4号機に流れる……じゃあ、オレが打つよ(笑)って、ほぼ毎日高設定の台をつかんでましたね。10万円、20万円と派手な勝ちは減ったんですが、平均すると日当で手堅く2万〜4万円くらいは勝ってました」

彼女に「ちゃんと働いてほしい」と言われ…

 もともと4号機の技術介入系Aタイプを黙々と打ち込んでいた川本さんにとって、初期5号機は物足りなさはあったものの、昔に戻っただけというくらいの認識だった。しかし、パチスロの調子が上がるほど、彼女との関係は冷えていった。 「当たり前なんですが、彼女としてはパチプロと結婚なんてしたくないわけです。『結婚したい』、『ちゃんと働いてほしい』、『将来のことをもっとちゃんと考えてほしい』って毎日言われて、もう、それがイヤになっちゃって結局別れました。とはいえ、当時は私も30歳を過ぎてましたから、彼女から言われたことは身にしみてわかってはいたんですけどね……。  気分転換に……と、久しぶりにカラオケ屋時代の仲間に連絡取って飲みに行ったんですが、当時大学生だったヤツらはみんなちゃんと就職してて、証券会社や不動産とか、ちゃんとしたところで働いてたんです。でも、一緒に飲んだら『川本はイイなぁ〜自由気ままに生きるなんて勝ち組だよ』なんて言われて、逆に『オレ、何やってんだろう……』ってさらに落ち込みましたね」  その後、母が亡くなり、パチプロ生活を考え直すことに……。そして、パチンコ・パチスロをやめ、専門学校への入学を決意するのであった。ここから川本さんの人生は大きく変わっていくことになる。 文/谷本ススム
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター
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