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「打撃練習中にバットが飛んできた」巨人ルーキー時代の広岡達朗を襲った“プロの洗礼”とその理由

仁王立ちで広岡を睨み続ける平井に…

平井の部屋の前まで来るやいなや、躊躇なくノックする。 「おう、ヒロ、どうしたんや?」 「打てないんです。教えてください」 広岡は恥を忍んで、平井の部屋の前で頭を下げ続けた。ドアノブを手に困惑顔の平井は、頭を少しかきながらようやく話をする準備を整えた。 「……ボールはホームプレートの上で叩くんや」 広岡がハッとして顔を上げると、平井の厳しい顔が視界に入った。仁王立ちで広岡を睨んでいる。広岡は鋭い視線に負けじと目線を切らず、「もっと教えてください!」と懇願した。 「中へ入れ」 平井は表情を崩さず部屋の中へ手招きをした。運良く同部屋の選手が出かけていたため、座布団を目の前にして遠慮なしにバットを持った。 「ええか、ヒロ、ボールはここで引っ叩くんや」 平井自らバットを持ってミートポイントを指し示す。 「ここまでボールを引きつけたら詰まってしまわないですか?」 「バカタレ! それは自分で考えることや。とにかく、この位置で叩くにはどうしたらええか考えてやってみい」 そう語気を荒げ、平井はそっぽを向いた。それからは何も言わなかった。 広岡は礼を述べて部屋を出てから、平井の言葉を反芻した。 「ボールはここで引っ叩くんや」と平井が指し示した位置は、ベースに差し掛かる部分。バッターボックスの一番後ろに立ったとしても、今までのミートポイントよりかなり差し込まれるような形になる。広岡は、部屋に戻ってからも一人熟考した。つまり、今までのホームプレートの前(投手側)にミートポイントを置く早稲田スタイルだと、プロの投手が投げる伸びのある速球とキレのある変化球にタイミングが合わず身体がつんのめってしまう。 「ギリギリまで引きつけることで、ボールを見極めると同時に重心を残すバッティングをしろという意味か……」 平井のおかげで納得のいく自己分析ができた広岡は、すぐさまバットを持って庭に出た。振り遅れないように、もっともっとスイングスピードを速くせねば。祈りを込めながら何度も何度も確かめるように素振りを繰り返した。引きつけても詰まらないようなスイングをするためには一にも二にも練習しかない。一日に二千の素振りを自分に課した。
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66年間破られなかった大卒新人の最高打率記録
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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