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“大食いアイドル”もえあずが守り続ける「親の教え」と、転機になった「つんく♂の言葉」

つんく♂に背中を押されて大食い番組デビュー

もえあず――音楽プロデューサーのつんく♂さんが手がけていたアイドル育成型エンタテインメントカフェ「AKIHABARAバックステージpass」(以下、バクステ)で活動をスタート。アイドルはもちろん、“爆食女王”の原点となりました。 もえあず:ライブの合間に私が、つんく♂さんへ「お弁当がひとつじゃ足りないんです」と話していたのをきっかけに、当時のレギュラー番組でアイドル同士の大食い対決が決まったんです。最初はたしか、5人前か10人前のそばめしを早く食べ切った人が勝ちのルールで、私だけ「なんでみんな、食べ切れないの?」と思うほど、余裕で勝ちました(笑)。 ――昔から、大食いだったんですか? もえあず:食べようと思えば、いくらでも食べられたんです。バクステでは、私たちキャスト用だったお弁当1つだけでは足らなくて、お店へ行く前に食料品を買い込むのが定番で、ライブ前に食べ過ぎてはいけないので、控えめにするのが大変でしたね。 ――その後、2013年の「元祖!大食い王決定戦」出演が転機になりました。 もえあず:レギュラー番組で優勝したのを受けて、大食い番組好きのつんく♂さんから「本家に出た方がいい」と言われたので、応募したんです。真夏の炎天下のなか、アッツアツのカレーパンを30分以内に食べ切るルールの予選に出場して、通過できなかったんですけど、反響は大きく、「テレビ番組の影響はスゴい」って思いました。

初優勝したときに「売れる未来が見えた」

――食べるのが好きだったといえ、「食べる早さ」を求められる勝負となると、新たな苦労もあったのかと。 もえあず:初めての体験でした。同じ食べ物を時間内にひたすら食べるのは、あんまりないので……(笑)。バクステではお客さんからまかないをプレゼントしていただく制度があり、閉店後には、テーブルいっぱいにまかないを並べて、時間を測って食べ切るトレーニングをしていました。フードファイターの赤阪尊子さんに弟子入りして「アゴを鍛えなさい」と教えていただき、毎日、スルメを噛んでアゴも鍛えました。 ――2015年には優勝して、自身初の“爆食女王”の称号を獲得。以降は、3連覇を果たします。 もえあず:初優勝したのはフィリピンのマニラで、炎天下で豚骨ラーメンをひたすら食べました。司会の中村有志さんに「優勝は……もえのあずき!」と言われた瞬間に、売れる未来がパーッと見えて、「人生決まった!」と思いました。 ――きっかけとなったつんく♂さんから、お祝いの言葉はありましたか? もえあず:いつだったか「ここからが勝負」だと言われたんです。芸能界で注目されると「チャンスが巡ってからは1周するけど、生き残れるかはもえあず次第」と言われて、それでも「歌い続けなさい」という言葉も心に残っているので、今もエラバレシとしてアイドルの活動を続けています。
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時間内に食べ切れるか「恐怖」との戦い
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