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さよならだけが人生か。いつの世も、おっさんの悩みは面倒くさく拗れていることが多い

おっさん中村の別格すぎる悩みとは

おっさんは二度死ぬ 場外馬券場で競馬以外の悩みをぶちまけるおっさんたち。そんなおっさんたちの中でも中村さんは別格であろう。  中村さんの悩みは「さよならだけが人生だ」と告げて女性と別れたい、というものだった。その悩み自体は競馬とは関係ないけど、まあいい。おそらくどこかでこの名言に触れて感化されたのだろう。おっさんがその辺のロマンティックさに酔いしれているのはどうかと思うけど、まあ、悩みとしてはありか。  ただ、問題なのは、中村さんと関係のある女性など存在しないという点だろう。中村さんは配偶者もいなければ交際している女性もいない。それどころか知り合いと言える女性は近所の食堂のおばちゃんだけらしい。  そんな風に関係のある女性がいないのに、ただ別れたいらしいのだ。出会ってすらいないのに別れたい。それでバシーンと「さよならだけが人生だ」と言いたいのだ。それだけ言いたいのだ。付き合ってないのに別れたいのだ。どうかしている。  ただ、このお悩みを聞いたとき、僕はまさかこの世に出会ってもないのに別れたいと言い出す人がいるなんて思いもしなかったので、かなり的外れなアドバイスをしてしまったのだ。

別れる女性を中村さんに紹介

「いいじゃないですか。人生は別れの連続です。さよならだけが人生ですよ。バシッて言ってやりましょう!」 「いや、それがなかなか難しくてね……」  渋る中村さんに、ああ、恋人に別れを切り出しにくいんだなと勝手に解釈していた。 「どうしても難しかったら僕が協力しますよ」  言い出しにくいなら僕が同席して、なんとか丸くおさまるようにしてあげたい、そんな申し出だった。けれども、中村さん的には「別れる女性を紹介してくれるんだ」と思ったらしい。完全に狂っている。  するかどうかは別として、一万歩譲って交際する女性を紹介したりはできるかもしれないけれども、いくらなんでも別れる女性を紹介なんてできない。いずれ別れる女性です、すべての人はいつか別れるのです、みたいな哲学じみた紹介になってしまう。 「よっしゃ、じゃあ俺の家でやろう」  中村さん的には、哲学的な別れる女性を僕が家に連れてきてくれると考えたし、僕は、中村さんの家に別れる女性が呼び出されていてそこに同席するのだと思っている。  いよいよその日がやってきた。  中村さんの家は、バスを乗り継いだ先の大きな団地の中にあった。無機質なコンクリートの階段が4階まで伸びていて、その階段の先にはこれまた無機質な廊下が伸びていた。その廊下には子どもが描いたものだろうか、「気を付けよう、ひったくり」という文字が勇ましいポスターが貼ってあった。ただ、そのポスターに描かれたひったくられる老婆の頭身があまりにおかしく、めちゃくちゃ頭が小さかった。
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やっぱり、さよならだけが人生ではない
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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