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「入れ墨で肌をもっと可愛くしたい」“高校を特待生で卒業した女性”が20歳で入れ墨を彫るまで――仰天ニュース傑作選

肌を露出することに抵抗があった

氷華さん

全身の入れ墨に、ただただ圧倒される

 理想的な家族にも聞こえる。ただ、そこにぎょっとするような入れ墨が彫られているアンバランス。とはいえ氷華さんの入れ墨への入口は、仲の良いきょうだいがみんな彫っているから――という単純なものでもないようだ。 「はっきり自覚したのは小学生くらいのときだと思いますが、半袖の季節になると肌を見られるのが恥ずかしかったんですよね。でも、みんなそんなことは感じずに肌を出していることもわかっていました。たぶん自分がヘンなのだろうという自覚はありましたね。なぜ恥ずかしいと感じるのか、それはわかりませんでした。とにかく肌をそのままむき出しで露出していいものだとは思えなかったんです」  人と共有できないそうした感覚は、年齢がいくにしたがって強くなっていった。 「中学生のときは、プールの授業を受けるのが嫌で、母に頼んで適当な理由をつけて休ませてもらっていました。サボりとかではなく、肌を露出することに抵抗があったんです。水泳自体は小学生時代に真面目に打ち込んでいたので、むしろ得意なくらいなんです。でも、中学生になるころにはもう、肌を晒すなんて絶対に無理だと拒絶感が強まっていました。もちろん高校生になってからも、スカートの下にジャージのズボンを履いたりして、なるべく肌を見せないように過ごしていましたね」

高校は特待生待遇をキープして卒業するも…

 氷華さんのこうした“注文”を母親が受け入れたのは、当時の彼女がそれ以外のことをしっかりとこなしていたからでもある。 「母にはいつも『勉強はちゃんとやるから』とお願いしていました。実際、当時は勉強を熱心にやっていたと思います。高校には特待生で入学し、学費は免除されました。1年ごとに特待生の考査があるので、成績を維持して3年間ずっと特待生をキープし、卒業しました」  大学受験では西の名門私学・関西学院大学に合格。だがそこで事件が起きる。 「ずっと頑張り続けて、次は大学の4年間勉強をし続けないといけないのかと思うと、気が遠くなりました。今考えると大学は『モラトリアム』などと呼ばれているのだからそんなわけないのですが、当時は固く考えすぎて『私には絶対無理』と怯え、進学を白紙に戻しました。入学金までは支払ったのに、進学を取りやめたのです。このことは当然、母の逆鱗に触れて、例によって木製ハンガーが待っていました(笑)」
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入れ墨の絵柄は「彫師に任せている」
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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